2009/10/18 日曜日

宗旨は何ですか?

Filed under: 葬儀 — admin @ 14:26:05

我々の仲間の葬儀社3社にて、現在、葬儀後に遺族の人にアンケートを行っております。我々として改めるべきことや、遺族の人がどんなことに気を使っているのかなどを把握するためです。「葬儀のアンケートなんて、不謹慎な」という葬儀社仲間の意見もあり、現在この取り組みを行っているのは3社だけです。

当初、アンケートの回答なんて、するわけないという大方の予想を覆し、葬儀施工件数に対して6割ぐらいは回答を頂戴しているような状況です。遺族の人たちも、我々葬儀社に対してやはり言いたいことがたくさんあるのかなと感じています。

さて、最近戻ってきたアンケートの中で、宗旨についてのことがありましたので、本日はそのお話をしたいと思います。

アンケートを書かれた方は、たぶん故人の三女さん。喪主は、故人の奥様(アンケートを書かれた方の母親)でした。

アンケートには、母親と子供達の希望が異なり、何もわからないままに学会葬を行った。不安で仕方がなかったのが、葬儀社担当者の親切な対応で、小さいながらも心のこもった葬儀が出来たと書かれておりました。

喪主となった母親の創価学会員だったのでしょうか。そのことを子供達は、知っていても、宗教団体である創価学会を良く知らないので、不安だったのではないでしょうか。また、一族がすべて学会員なのであれば、それほど、問題はないでしょうが、学会葬として、葬儀をすれば、お墓のことやら仏壇のことやらいろいろとあり、子供達も心ならずとも創価学会員にならねばならないと感じたのでしょうか。いろいろと将来のことを含めて、不安に思うことがたくさんあったのだと思います。そして、お葬式だけは何とか執り行うことが出来たという安堵が、このようなアンケートの回答となったような気がします。その後の不安はをどのように対応しているのかを少し聞きたい気持ちもあります。

このアンケートを見た翌日、私の家内の実家から電話がありました。義母から、私に相談があるとのことでした。それは、祖母のことでした。現在、祖母は、心臓の病気と痴ほう症のため、老人施設に入っております。その施設に家族でない人が、祖母を訪ねてきたそうです。施設から、その後家族に連絡があり、その人を知っているかと尋ねられたそうですが、家族には心当たりがなく、不審に思った義母が、祖母の持ち物をいろいろと調べていると、祖母がまだ元気だったころに入会していた統一教会の人らしいことがわかりました。祖母が現在の施設に入る前までは、義母のお兄さんが祖母の面倒を見ていたときに、祖母が統一教会に入っていることが分かり、いろいろとお金を教会に使っているのを見てお兄さんがやめさせて、お兄さんが入会している創価学会員になった経緯を聞きました。縁が切れたいたと思っていた宗教団体の人が突然訪ねてくることが、怖いと感じた義母から、相談を受けました。悪い想像をたくさんしていました。

祖母が死んだら、その宗教団体に遺産を寄付するような契約があるのではないか。だから、そろそろかなと思って祖母の様子を見に来たのではないかといろいろです。まあ、祖母はまだ生きている訳だからいろいろと手を打つことは出来るはずだから、実態がどうなっているのかを良く調べることが大切ですよ。土地や建物の登記や祖母名義の預貯金などを良く調査してください。何か変なことがあれば、現時点での被害はないわけですし、仮に祖母が遺言書などを作成しているのであれば、その痕跡があるのかないのか。また、遺言書の効力云々については、弁護士さんなりとよくよく相談されるべきです。まだ手を打つことは出来るから、不安になる前に義母の兄弟姉妹とよく相談されてから行動してくださいとアドバイスを行いました。

よく考えると、それにしても祖母は、人が良すぎるなあと感じます。たぶんに誰かに誘われ統一教会に入会、子供に言われ退会。そして別の宗教団体に入会。果たしてどの宗教で葬儀をするのでしょうか。身内のことだけに心配です。少し中に入って整理してあげないといけないし、葬儀を行う段階になって、あれこれ内輪でもめるのは大変だと思います。

世の中、いろんな宗教団体がありますが、皆さんがたの家族の中でそう言った団体に入会している人がいるのではないでしょうか。生きている間は、それほど問題ないでしょうか。宗教とお墓や仏壇と言ったものがつながっているので、その人だけの問題なく、死後もどうしていくのかを問題なのかもしれません。一度家族で宗教について考える必要があるかもしれません。

2009/10/15 木曜日

葬式代がないのですが・・・。

Filed under: 葬儀 — admin @ 17:09:33

昨今、日本社会は、「格差社会」だの「就職難」だのと貧困にあえぐ人々が増えております。そんな中での、生活保護を受給している世帯も増えています。このような世帯の場合に、お葬式を行うのも大変です。自治体では、このような場合のために、福祉事業として、葬式代も出してもらえます。とはいっても、霊柩車の搬送代と棺の費用ぐらいしか出ないような状況で、普通のお葬式を行うことは困難です。生活保護を受けている方でも、そのような形の葬儀ではいけないといったことで、御親戚の方に援助をお願いしたりなどで、お金の工面をしながら、普通のお葬式を行う方もいらっしゃいます。このような方には、どんな形であれ、精一杯お手伝いさせてもらいたいと思うものですが、今回は、その逆のお話です。

母親が亡くなりました。兄弟が、病院で看取り、我々に連絡をいただき、病院から斎場へ搬送を行い、それからお葬式の打ち合わせを行いました。別に生活保護を受けているわけでもないのでしょうが、話を聞くとそれほどお金にゆとりのある生活を行っているような状況ではないことがわかりました。「お金がないし、兄弟とその家族だけでお葬式を行うので、最低必要なものだけでお願いします。」ということでした。こちらは、「最低こんなものですよ。」と見積もりを出しました。金額には、少しだけびっくりしたようですが、生活保護世帯の埋葬費とほぼ同額で金額提示を行いましたので、まあ、なんとかします。ということでした。でも、このお葬式代を払うとお寺を呼ぶことは出来ないとのことで、お寺も呼ばすに出棺だけで済ませてしまいました。さて、一晩斎場に泊まり、翌日出棺して、火葬を行いました。出棺後に斎場に行くと、担当したものが、困った顔をしていました。どうしたんだろうと話を聞くと、昨晩は、お酒をたくさん飲まれたようで、缶ビールや日本酒の空瓶などがたくさん出ておりました。挙句の果てに斎場のガラスを割っている。「喧嘩でもしたのかなあ。」とボヤイていました。こんな事じゃ、お金のちゃんと払ってくれるかも心配なので、当分フォローしないといけなないなあと後のことも心配していました。

私は、確かに仕事をして、代金をもらえない心配もさることながら、お金がないので、お寺の呼ばないでお葬式をする。そして、その間にアルコールを大量に飲んでいる遺族の人に違和感を感じます。

「お酒を飲むお金があるのなら、もう少し何とかしたら、実の母親のことでしょう。」と思います。ちょうど担当と話をしていたところに、火葬を終えた遺族たちが斎場に戻ってきました。斎場に置いておいた荷物を受け取り、自宅に戻り、お骨を安置する後飾りを作るそうです。これは遺族の要望らしいが、お寺も呼ばず、母親のお骨をどうするつもりなのでしょう。なんだか本末転倒なお話です。こんな風に考える遺族の人たちは、自分たちは何もおかしいことをしていないと当たり前のような顔つきで担当者と話をしていました。なんだか怖い人たちに思えてきました。それとも、こんな風に感じる私がバカなのでしょうか。それとも、お酒を飲みすぎで、遺族の感覚はマヒしているのでしょうか。今夜は眠れないかもしれません。

2009/9/28 月曜日

亡くなった方への病院の対応

Filed under: 葬儀 — admin @ 20:53:50

ご無沙汰しております。早9月も終わりです。 今月は、北九州市では、死亡者が多かったようで、多忙を極めました。新型インフルエンザの発生が顕著になってきていることと関係があるのかなと思ったりしています。

さて、今回は、病院で亡くなった後に私たちが病院に遺体を引き取りに行きますが、その時の出来事です。

さる病院(北九州市近郊の病院)で、亡くなった方がいて、FSN代理店である中村組葬儀社の大里斎場まで搬送を行ったときのことです。

通常、我々は病院の霊安室に遺体を引き取りに行きます。その場合、病院側は、遺体の体を拭いて浴衣を着せている状態が多いです。私が感じる中においては、この過程で亡くなった方の衣服を着せている病院や緩和ケア病棟などがあります。こんなところは、なかなか亡くなった方への病院の気持ちであったり、遺族の方々への精神的なケアが行き届いているのだろうなあと感心したりします。

さて、この北九州近郊の病院の霊安室で、遺体と対面した時に少し驚いたのが、仏衣を着ておりました。要は、白装束というやつです。最初に思ったのは、この病院は、どこかの宗教法人系列の病院なのかなと思い、そうじゃないなら、これまた葬式のことが分かる人たちなのだろうなあと感心しました。私としては、葬式が分かっているのであれば、少しでも粗相があるとまずいと思いながら、遺体の引き取りました。斎場について安置をしていると遺族の人が病院から電話がかかっているから変わってください。と言いまして、施工を担当する者が電話で病院をやり取りしていました。そうこうしているとこの担当者がかなり怒り始めました。なんか問題あったのかと思っており、話をしている内容を注意深く聞いていると、病院側は、葬儀社に対して、遺体に仏衣を着せているからその代金を支払えと要求していることがわかりました。病院を出るときには、感心したことでしたが足元が見えたというかなんというか浅ましい話で情けなくなりました。

この病院では、これが当たり前みたいな感じで、要求しているので、担当者が怒る気持ちをわかります。仏衣を着せるのは、仏式で葬儀を行う場合であり、仏式でも宗派によっては仏衣を着せる必要もありません。ここら辺を本当に理解しながら、病院が行った行為とは思えませんし、情けない話です。

この病院では当たり前のように言っていたということは、それを許しているこの病院の近くの葬儀社がいるということでこれまたあきれる限りです。ちゃんと教えてあげないと問題です。何か、患者さんや亡くなった方をお金としか見ていないようですごく嫌な気持ちになりました。こんな病院には、自分は入院したくはありませんね。 そう考えると、我々葬儀社が見る亡くなった時の病院の対応で、その病院のサービスの善し悪しを図る材料にはなるように感じました。

2009/8/20 木曜日

今、何をすれば良いですか。

Filed under: 仕事 — admin @ 16:19:47

ようやくお盆が終わりました。ようやく本格的に仕事に復帰しつつあります。さて、お盆の時期には、どの地域でも盆祭りや納涼大会などが開催されます。私の地域でも、8月16日(日)に納涼大会が開催されました。私も娘の小学校のPTAの仕事をしている関係で自治会等の地域諸団体の方々にお世話になっている関係で納涼大会のお手伝いをしておりました。

納涼大会の中で、娘の同じ学年の母親とお話をしていました。この方は、転勤族で、出身も九州の方ではないことは知っておりましたものですから、私は、質問しました。「あんた、お盆は実家に帰らなくていいのかね。」その回答は、「家に帰ると親がうるさい。家族でどこかに遊びに行くのも、お金もかかるし、どこに行っても人は多いし、家にゆっくりしているのが、一番良い。でも、子供たちは、どこかに連れていけと絶対に言うから、一番近い、この納涼大会が一番いいのよねえ。」という答えでした。なるほどねえ。と関心する部分もありますが、せっかくのお盆だし、ご先祖さんのことを思ったり、子供たちに自分の家のことを考えてもらうためにきっかけには、お盆という時期を活かした方が良いのではないかという私なりの考えをお話しました。このお母さんは、ある程度、気づいてくれたみたいで、来年は、お盆は帰省しようかなあ。なんて話をしていました。この話を聞いていた別のお母さんから、質問を受けました。「今の話を聞いていると、葬儀のことも今のうちから、いろいろと子供たちにいっとかないといけないことがたくさんありそうね。でも、自分や旦那の死ぬことを、子供たちには、想像できないだろうし、どうしたらよいだろうか。」

私は、思います。確かに、家族の中で、小さな子供であろうと、人が死ぬことを認識してもらうことは必要なことだとは思います。しかしながら、子供たちに葬儀のことを教えてもたぶんにちんぷんかんぷんでお話にならないだろうと思います。

では、親たちが、何をしなけらばならないのか。夫婦が仲良くすることや、祖父母を大事にする姿を見せることだと思います。そうすれば、両親の愛情を感じることもできるだろうし、祖父母の有難味を感じることもできると思います。そんな話をしていました。

二人のお母さんからは、立派だねえ。確かに私のところは、夫婦で仲良しらしいしねえ。と言った感じでカラカワれました。

また、別のお母さんが、「家は、旦那と仲悪いのよ。別れようかと思うことも度々よ」というので、私は、「離婚は駄目だ。葬式するとき、困るよ。山城新伍さんのことがテレビでもやっているでしょう。 今何をしなければならないか。それは、夫婦仲良くすることよ。」と言っっておきました。

まあ、お母さんがたは、まだまだ30代の方々です。なかなか自分が死ぬことそのことも想像つかないだろうし、難しいことなのかもしれませんが、遠い将来のことを考えると、今の生き方や考え方を少し変えることができるかもしれません。そんなきっかけにお盆がなってくれればよいなと思います。

2009/8/17 月曜日

こんなことで、よいですか。直葬とは・・・。

Filed under: 葬儀 — admin @ 17:36:13

前回のブログで、直葬の新規参入業者のお話をしました。

今月に入り、実際に寝台サービスの業務委託を受けました。病院に行ってみますと、故人の奥様(かなり高齢の方)と男の子供の方がいました。自宅の連れて帰りたいということで、故人と奥様を乗せて、自宅に向かいました。自宅に到着してみますと、委託先の直葬業者の方も来られました。さて、安置を行う部屋は、どこですかと私がこの業者の方に聞くと、「どこが良いですかね。」と逆に尋ねられました。奥様は、「主人がいつも寝ていたベットに寝かせてあげたい。」とのことでしたが、お家の中に上がり、故人の寝室の部屋の隣に、立派な仏壇がありました。業者の方と奥様に、火葬した後はどうするのかと確認すると、「まだ決めていないが、火葬した後にお寺に持って行って、納骨しようと思う。」と言い始めました。「お寺さんとは、それで話がついていますか?」とたずねましたが、奥様は、「身内だけで、葬式のしないのに、お寺に来てもらっても仕方がない。」と言い、直葬業者の人は、「そうですよね」と相槌を打ちました。正直、空いた口がふさがらない心境でしたが、直葬業者の仕事ですので、これ以上は黙っていました。

そこで、「それじゃあ、ベットに安置しましょうかね。」と言うと、直葬業者さんは、「納棺は何時したらいいですかね。」と私に聞きます。「貴方が決めることで、私が決めることではない。遺族の人と話し合って決めてください。」と返しました。そこから、納棺するのは、何時か、棺はどこに置くのかと話が始まり、故人の遺体を寝台車の中に入れたまま、何時まで経っても埒があきません。仕方がないので、「普通は、仏壇の前に安置をして、そこで納棺し、仏壇の前に置くのが、当たり前です。」と、アドバイスしてあげると、「じゃあ、そうしましょう。」とようやく話がつきました。仏壇の部屋は相当に埃がたまっており、この業者さんは、余りに気にせず、遺体を安置しましょうと寝台車から遺体を降ろそうとしていましたので、それを止め、まずは、家の人にお願いしようと思いましたが、この奥様は、自分で掃除をする気は全くなく、また、子供も病院からまだ家に戻ってきていません。また業者の気がつきませんので、、仕方がないので、私が掃除をしていますと、ようやく業者は、「手伝いましょう。」と気付きました。私は正直頭に血が上りました。「これは僕の仕事でなく、貴方の仕事ですよ」と怒りました。私は、掃除を止めて、外で終わるのを待っていました。

そうすると、子供がようやく自宅に帰ってきました。この直葬業者に依頼をしたのが、子供さんだった様子で、話をしていました。

その会話は、「昨日広告を見て、依頼をした。こんなに早く亡くなるとは思わなかった。でも、頼んでおいて良かったなあ。」「早く簡単に終わることができるから、安心だな。」そんな会話でした。

そんなこんなで、安置をして業務を終え、帰社しました。翌日、出棺を行いました。その時も棺を床に直においていたそうです。葬具である棺敷(棺を置く敷物)や棺台は、ありません。たぶん畳は、棺の中に入れていたドライアイスが溶けて、水分を大分吸ったのではないかと危惧します。

その翌日に、この業者が来社しました。この業者からは、業務委託対応をしてもらったお礼と代金の支払いをしてくれました。

その時に、業者は、遺族の人は、大変喜んでくれたと言っていました。私は、何を喜んでいたのかを聞くと、「安かった。」だそうです。自信満々に答えられました。 お葬式は、安いだけで語られる時代が来たのかと思うと暗澹たる気持ちになります。

また、遺族の人も、後から後悔しないことを念じます。お寺との付き合いのこと、ご近所の付き合いのこと。様々な事象がこれから起こります。これらをこの業者に任せたことにより、発生する事象です。この時には想像していないことが起こっていると思います。これをこの業者のせいにしないでほしいと思います。なぜなら、いろんなアドバイスができない業者の選択したのは、遺族だらか・・・。

2009/7/27 月曜日

直葬とは、何だろう。

Filed under: 葬儀 — admin @ 17:29:35

先般、私のところに、この業界に新規参入を志している方が訪ねてきました。この方の目的は、我々の寝台サービス(つまりは、亡くなってから、病院にお迎えに行き、搬送を行う業務)を委託したいという旨でした。

お話を聞いていますと、最近、テレビや新聞で取り上げられている葬儀事情をよく調べられていました。特に東京地区や東京近郊で増加している「直葬」を行うことを目的としてこの業界へ新規参入を試みようとしている様子でした。この方は、新規参入のスキームの説明を頂戴しました。 直葬を行う、合同墓を準備した。遺品やそのあとの部屋の片づけなどのサービスも行う。これを大体このぐらいの価格で行う。現在のお葬式は高いという前提ですから、この価格を安く提示すれば、そこそこ成算ありと言った勢いでした。

私は、彼に質問しました。 「大体のお話は、わかりました。私が腑に落ちない点をお聞きします。 直葬とは、火葬をして終わりのはずです。何故、お墓まで準備されているのですか。」この方の回答は、「ときどきいるのです。火葬だけでは、少し寂しいと言われる方が、お寺と提携して供養だけでもしてほしいという方もいるものですから・・・。」

この回答からすると、この方は、遺族のいない人をターゲットとしているのかなと思いました。それならば、今までと変わらない、社会福祉協議会などの公的機関が取り扱う葬式と同じなのかと聞きました。そうすると、そうではなくて、遺族がいようといまいと余り気にしていない。要は、お金をかけたくない人に対応したいのだということでした。

遺族がいるのなら、供養は、遺族がするものでしょう。面倒くさいとかお金がかかるとかそんなことよりも自分の育ててくれたことや、生きている間に世話になったことへの感謝の気持ちを込めて供養するものなのに、赤の他人のお寺に供養してもらっても余り意味がないと思うという話をしました。まあ、この方は、なんだかんだと言ってこの業界に参入するだろうなあと思います。上手くいくはどうかはわかりません。

でも、お葬式をするとかしないとか、お墓の面倒をみるとかみないとか。お寺にお経をあげてもらうとかもらわないとか。をもう少しきちんと理解して仕事をしてもらいたいと思います。また、消費者も安易に「安い・お手軽・お任せ」を業者にするのではなく、一体自分が亡くなったらどうすべきなのか。家族が亡くなったらどうすべきなのかをもう少し考えてから業者に頼んでほしいものです。

テレビや新聞では、直葬は、「簡単・安い・気軽」と言った面だけを取り上げて報道します。実際に直葬はそんなものです。ただ火葬するだけですから。でも、そうすることで見えない損があります。人づきあいが無くなることや、祖先との付き合いも無くなるかもしれません。また、以外と直葬が終わった後に時間や費用がかかるかもしれません。(故人と付き合いのあった方がお線香でも上げさせてくれと言ってきたりする。)そんなことを総合的に考えて直葬を行うのであれば、良いが、この新規参入者のような方では、きちんとアドバイスができるのだろうかと心配になります。まあ、何事も失敗から経験を積むものです。失敗してやめるのか。失敗を糧に頑張るかは、その人の精神力だと思います。さて、この方はどちらなのでしょうか。

でもつくづく考えます。やっぱり普通の人は、お葬式のことはわからないのだろうなあと・・・。

2009/7/13 月曜日

わからないことを聞けない人

Filed under: 閑題 — admin @ 19:53:52

私は、子供の小学校のPTAの仕事をしております。

本日、校長先生とお話をしていたことで、自分の仕事につながるなと思ったことをお話します。

校長先生とは、夏休み中の地域行事の件で、相談していておりました。それから、話がいろいろな話をしていまして、最後に学校教育の中で、先生たちに望むことと言った話をしておりました。

私は、「わからないことをわからないと聞ける子供を育ててほしい。」という要望を出しました。なぜなら、仕事上、いろんなことを相談を受けるが、自分が何がわからないのかをはっきりと言えない人が多い。以前にもお布施のことを書きましたが、お寺と付き合っているのは、その家族です。私たち葬儀社ではありません。昔と違い、我々の生活の中に、お寺との付き合いが深くなくなってきています。言い方変えると(悪い言い方で申し訳ないが)、「葬式坊主」と言った感じの部分が多くなってきています。だから、葬式の時に来るお寺のお布施の葬儀社に聞けばわかるはずと思っていることは想像出来ますが、本来は、遺族とお寺の関係でお布施は決まるものなのです。それをお寺に聞けないこととか聞きにくいということをよく言われる。私は、これが不思議なんです。と話をしました。

校長先生は、「なるほどねえ。」学校でも同じですよ。先生たちも若い先生ほど、一生懸命勉強しています。本読んだり、講演を聞きに行ったり、それはすごいですよ。でも、本当は、その学校の先輩の先生たちに、聞くのが一番手っ取り早いし、実体験に基づいた話だから、一番良いのだが、学校という組織の中で先生たちもわからないと聞けない人が多いのですよ。という話をされました。ここら辺が一番問題なのよねえ。どうしたら良いのかねえ。とああでもないこうでもないという話をしていました。

結局のところ、わからないと言ってもおかしないことなのだというその環境や雰囲気が必要なんだろうなあという結論に達しました。会社に戻って、このブログ書きながら思いますが、環境とか雰囲気ってどうやって作るんだろう。と悩みが一つ増えました。

2009/7/4 土曜日

自殺とお葬式 その2

Filed under: 閑題 — admin @ 17:14:29

最近、このブログを見ていただいている方が多くなってきております。このブログを検索される中でここ2-3ヶ月は、ずっとトップは、「自殺 葬式」という語句です。 この語句で検索される方はどんな方なのでしょうか。 家族の人が自殺をして、お葬式を出すのにどうすればよいかと悩まれている方なのか。自殺をしようとしている方が、見ているのか。

以前にも書きましたが、自殺を考えている方には、とにかく自殺はやめてほしいと思います。残される家族にとって、突然の死は、お葬式どころではありません。また、お葬式をちゃんとやらないと、心のけじめがつきません。そうすると、前向きに生きていけません。その点だけ考えても、自殺をするより、別の道を考えていただきたいと思います。

残されたご家族の方には、突然行わねばならないお葬式です。自殺の理由とかいろいろな世間を目や耳を気にしてしまいがちです。でも、目の前にあるお葬式から逃げるようなことはしないでほしいと思います。いろいろなことを考えて、周囲の人に知らせないといったお葬式は他の意味で問題が多いと思います。なぜなら、残された家族は、住んでいる場所で周囲の人と付き合いながら生きていかねばならないからです。自殺の理由やらいろいろな詮索を気にされるかもしれません。でも、それを乗り越えることにより、もっと強く生きていけるかもしれません。 今日、このブログのアクセスデータなどを見ていて思いました。

2009/6/23 火曜日

離婚した人のお葬式

Filed under: 葬儀 — admin @ 8:27:02

離婚の多くなってきている世の中です。離婚した人が亡くなった。そんなお葬式についてお話をします。

数年前に離婚した60歳前半の男性が亡くなりました。 この方は、離婚後は、一人暮らしをしていたようです。子供たちも成人しているので、まあまあ悠々自適な生活をしていたようです。

病気になり、入院し、そのまま永眠されたようですが、子供たちにも自分のおかれている状況を伝えていなかったようです。最後の看取ったのは、友人・知人の方々でした。葬儀社の手配も友人・知人が行ったようです。友人・知人は、とりあえず、知り合いの葬儀社に連絡を取り、その後、子供たちに連絡をしたようです。葬儀社も、宗旨や遺族の状況などを把握しないまま、業務を進めようとしていました。子供たちも、父方のお寺がどこなのかがわかりません。また、お墓や何やらのことが分からないので、母方のお寺に依頼をしました。そうすると、このお寺は、○○葬儀社に頼みなさいと言ったそうです。そこから子供たちは、慌てててその葬儀社と連絡を取り、葬儀を行ったそうです。友人・知人が手配をした葬儀社とは一悶着あったので、少し後味の悪い思いをしたようですが、一応無事葬儀を終えたようです。さて、この子供たちは、父親のお骨をどうするのでしょうか。離婚した母方のお墓に一緒に入れるのでしょうか。それとも新しくお墓の立てるのでしょうか。父方のお寺やお墓を探すのでしょうか。葬儀が終わったても、苦労が絶えないなと感じます。

核家族社会は、結婚すれば子供たちは、戸籍を含めて親元から独立していきます。自立した人間を形成を行う意味で必要なことなのだとも思います。しかしながら、我々の日本社会の伝統・文化・風習には、家族の引き継ぐ行為がたくさんあります。先祖の供養・お墓・家族を大切にする想い・・・。そんなことと、核家族制度は、制度と風習・文化がかけ離れているようにも感じます。また、最近は子供たちもなかなか親離れ出来ない実態や高齢な親の介護などの面倒を見ていくにしても核家族制度は、なんとなく、子供も親も自分の都合ばかりを言い立てるための制度になり下がっているように感じます。特に離婚は、親のわがままのように思います。結婚して間のない離婚は、相手方のことをよく知らないという若気の至りという面もあるとは思いますが、長年結婚生活を送った後の離婚は、特に子供が出来てからの離婚は、自分たちの将来を考えた決断が必要なのかもしれません。離婚してしまえば、そのあとの生活においても、子供たちに迷惑をかけることもありますが、自分が死んでからのお寺・お墓などを子供たちがどうすればよいのか悩みを抱えてることになりかねないことだと思います。皆さん、誰しも葬式するのに、子供に迷惑かけたくないとお金をことを気にします。しかしながら、それだけではないのだと思います。家族みんなで考えることが必要なことだと思います。今の生活と、家族の亡くなった後のことを・・・。

2009/6/11 木曜日

自殺とお葬式

Filed under: 閑題 — admin @ 9:02:33

社会的に、自殺者が増加していきます。最近感じることですが、少し自殺に対する世間の認識も変わってきたのかと思います。

以前でしたら、自殺をした場合には、何故自殺したのかなどを詮索されることを嫌い、遺族の人たちも死を伏せようとする意識が働いていたと思います。そのためにお葬式も、誰にも知らせないでひっそりと行うといったことが多かったように思います。

しかしながら、これだけ自殺者が増加し、自殺には、その理由を新聞やニュースで一般的に論じられるようになりました。また、そうならないために周囲の人たちや地域社会がどうあるべきなのかという議論もされるようになってきています。こんな背景の中で、自殺者が出た遺族の人たちに対する周囲の目は、少し変化してきているのかなと感じます。ここ数日の間に2件ほど、自殺者のお葬式があることを知りました。両方ともごく普通にお葬式をしました。 会葬者も故人と別れを惜しみ、遺族と故人を偲び、葬送を行った。そんなお葬式だったようです。確かに、自殺の理由には、世間的に格好の悪い点があると思われる方もまだまだ多いでしょう。故人を惜しみ、別れを行い、そして残された人たちがそのあとを助け合いながら、生きていく。そのための儀式であるというお葬式の意味は、自殺の理由を詮索する周囲の目を気にせずに生きていくためにも必要なことなのかも知れません。

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