2010/2/14 日曜日

遺体の取り扱い方

Filed under: 葬儀 — admin @ 13:36:11

本日の日経新聞朝刊に、東京都監察医務院元技術職員の伊藤茂さんという方の記事が出ていました。 この方は、看護師や葬儀業者の間で慣例的に行われている死後の遺体の処置に科学の目を注いでいるという記事が出ていました。商売柄、大変興味を引く記事でしたので、紹介します。

慣例の中で、「指を組んだり、手首を縛ったりすると、水種や皮下出血が生じる場合がある。ご遺体を気づつける可能性があります。」と彼は云います。何故慣例ではなく科学的な処置が必要なのか。伝統的な手法で遺体の状態を損ねることは、逆に遺族の感情を傷つける場合があるからだと云っています。

具体的な例として、新生児。水分含有量が多く、遺体は乾燥しやすい。このため、乾燥を促すドライアイスより蓄冷材を用いるなどの配慮が必要だ。小さなお子様の葬儀などを経験すると我々のよく見かける光景ではあるが、母親はわが子を直前まで抱いたりします。乾燥などによるわずかな体重の減少には敏感であり、その「軽さ」がさらなる悲しみを招くことがあると伊藤さんは云っています。

こんな光景は、気持ちは、我々葬儀業界で心ある人は、十分に理解できるものだと思います。どんなに綺麗に飾った祭壇やどんな良いサービスを遺族の人に行ったとしても、このような小さな配慮が足りないと「良い葬儀」だったとは言われないと思います。 逆に、この小さな配慮は、どんなサービスや綺麗な祭壇にも勝るものだと思います。 小さな配慮のおかげで「良かった」といわれることがあると思います。なぜなら、葬儀の主役は、生きていないけど、やっぱり遺体だからなのだと思います。

私の仕事の中でも、もっと細心な注意が必要なのだと気づかされました。

2010/2/4 木曜日

遺族の心情を斟酌する

Filed under: 葬儀 — admin @ 16:36:11

とうとう1月は、1回のブログを更新することがありませんでした。すいません。このブログの題材になることは日々たくさんあるのですが、なかなか手を出さないのは、如何なものかと反省しきりです。そんな中、先週だったか。NHKの番組「追跡AtoZ」という番組の言語力について報道がありました。最近の社会問題として、「自分の云いたいことを伝えられない」人が増えているという内容でした。これでは、何をしてもダメなので、いろんなところで言語力(文章力だったり、話し方だったり)を高める施策をとっているということでした。これを見ていて、ブログの更新をしない自分の言語力不足なのかなと思ったりしました。

まあ、これからは、もっと更新を増やしたいと思います。言語力がないとは言われないために・・・。

さて、先月わが社の社員が、ある葬儀社の委託を受け、病院に遺体をお迎えに行きました。葬儀社からの依頼は、「●●病院で、故人名は、●●様。もう一度連絡があるから、そうしたら病院に行ってください。」とのことでした。この忙しい世の中で、最近頻繁に見られるようになった家族の臨終を迎えたときに立ち会うことができないケースで、亡くなったけど、遺族の人がまだ病院に到着していない。だから、遺族が病院に到着したら、連絡がありそれから出動するのだろうと思ったそうです。

30分ぐらいして、再度葬儀社から連絡があり、「出動してください。」とのことなので、遺族は病院に到着したのだろうと思い、病院に行きました。病院に着くと、霊安室には誰もいません。これはおかしいと思い、病院に受付に着くと「遺族の人は、まだ到着していない」とのことでした。出動した人間は、「あれっ?」と思ったそうですが、仕方がないので待つことにしました。そうすると、病院の人たちも「葬儀社の人たちが到着したから、そろそろ出発だろう。」と思い、霊安室の方に集まり始めました。

そんな中に、遺族の人が病院に到着しました。そうすると、いきなりわが社の社員に怒り始めました。「もう一回連絡すると伝えただろう。なんで勝手に着ているのか」ということです。理由は、「故人がお世話になった病院で、寒い中見送りをしてもらうのに、自分たちが遅れている。待たせるのには忍びない。だから、自分たちが到着してから、葬儀社には来てもらいたい」ということです。

こちらは、葬儀社から2回目の連絡をもらってから出動しているので、訳がわからない状況で、まずはお詫びをして、葬儀社に連絡を取り、遺族の状況を伝えました。「相当怒っているよ。何でこうなったの?」と尋ねると、「いいんじゃない。別に早く行って待ってるわけだから、僕らの仕事じゃ当たり前でしょう。」という答えが返ってきました。

 確かに、普通は病院である程度出発までに時間を待つのが当たり前なのですが、相手の事情が聞いていながら、いつも通りのやり方を行おうしたことに、遺族が怒っていることを感じることが出来ない様子だったそうです。その後、結末は、どうなったかを知りませんが、きっと遺族は、心にシコリの残るお葬式になってしまったのではないでしょうか。そのようなお葬式を一場面ですが、我々の係ったことに反省をせねばなりません。

以前にこのブログに書いたと思いますが、病院へお迎えに行くことの重要性をもう少し葬儀社全体で考えなくてはいけません。

普通どおりにやれば良いでは、いけないのだと思います。人間一人一人考え方感じ方も違うのだから・・・。

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