2009/8/20 木曜日

今、何をすれば良いですか。

Filed under: 仕事 — admin @ 16:19:47

ようやくお盆が終わりました。ようやく本格的に仕事に復帰しつつあります。さて、お盆の時期には、どの地域でも盆祭りや納涼大会などが開催されます。私の地域でも、8月16日(日)に納涼大会が開催されました。私も娘の小学校のPTAの仕事をしている関係で自治会等の地域諸団体の方々にお世話になっている関係で納涼大会のお手伝いをしておりました。

納涼大会の中で、娘の同じ学年の母親とお話をしていました。この方は、転勤族で、出身も九州の方ではないことは知っておりましたものですから、私は、質問しました。「あんた、お盆は実家に帰らなくていいのかね。」その回答は、「家に帰ると親がうるさい。家族でどこかに遊びに行くのも、お金もかかるし、どこに行っても人は多いし、家にゆっくりしているのが、一番良い。でも、子供たちは、どこかに連れていけと絶対に言うから、一番近い、この納涼大会が一番いいのよねえ。」という答えでした。なるほどねえ。と関心する部分もありますが、せっかくのお盆だし、ご先祖さんのことを思ったり、子供たちに自分の家のことを考えてもらうためにきっかけには、お盆という時期を活かした方が良いのではないかという私なりの考えをお話しました。このお母さんは、ある程度、気づいてくれたみたいで、来年は、お盆は帰省しようかなあ。なんて話をしていました。この話を聞いていた別のお母さんから、質問を受けました。「今の話を聞いていると、葬儀のことも今のうちから、いろいろと子供たちにいっとかないといけないことがたくさんありそうね。でも、自分や旦那の死ぬことを、子供たちには、想像できないだろうし、どうしたらよいだろうか。」

私は、思います。確かに、家族の中で、小さな子供であろうと、人が死ぬことを認識してもらうことは必要なことだとは思います。しかしながら、子供たちに葬儀のことを教えてもたぶんにちんぷんかんぷんでお話にならないだろうと思います。

では、親たちが、何をしなけらばならないのか。夫婦が仲良くすることや、祖父母を大事にする姿を見せることだと思います。そうすれば、両親の愛情を感じることもできるだろうし、祖父母の有難味を感じることもできると思います。そんな話をしていました。

二人のお母さんからは、立派だねえ。確かに私のところは、夫婦で仲良しらしいしねえ。と言った感じでカラカワれました。

また、別のお母さんが、「家は、旦那と仲悪いのよ。別れようかと思うことも度々よ」というので、私は、「離婚は駄目だ。葬式するとき、困るよ。山城新伍さんのことがテレビでもやっているでしょう。 今何をしなければならないか。それは、夫婦仲良くすることよ。」と言っっておきました。

まあ、お母さんがたは、まだまだ30代の方々です。なかなか自分が死ぬことそのことも想像つかないだろうし、難しいことなのかもしれませんが、遠い将来のことを考えると、今の生き方や考え方を少し変えることができるかもしれません。そんなきっかけにお盆がなってくれればよいなと思います。

2009/6/4 木曜日

変死体

Filed under: 仕事 — admin @ 13:14:30

現代社会は、高度に医療が発達し、人は皆病院で診察を受け、薬や治療を受け生き続けようと努力します。しかし、人は何時か寿命がやってきて亡くなります。亡くなる場合も医療で治療や延命を行ってもらっている場合が多いから病院で亡くなるのが当たり前の時代です。

人の寿命は、いつ尽きるかわかりません。突然死が訪れる場合はあります。事故・事件。気づいていないうちに進行していた病、様々です。我々は、そんな遺体を時々見ることがあります。周囲の人や遺族たちも思いも寄らぬ死であるだけに、その死をどのように受け止めるべきなのか、と戸惑い・苦悩している姿を見かけます。お葬式をするにしても、何も心準備もなく、どのように行うべきなのかを考える余裕もない。そんな姿を見かけるたびに私も悲しく忍びがたい気持ちになります。昨日、そのようなご遺体を見ました。死後3カ月を経過した変死体。アパート住まいだったこの男性は、自宅で死亡したまま、発見が遅れ3カ月後に発見さました。死因は別問題として、何故発見が遅れたのか? このアパートの住民は、異変に何故気付かなかったのか。そのことが気になります。我々がこの男性の部屋に行ったとき、周辺までかなりの異臭がする状態でした。隣の住民は、この異臭をどのように感じていたのだろうか。隣の住民が遺体を運び出す際に、何も言わずに出かけて行った後ろ姿を見ました。「無関心」。後ろ姿からのそんなことを言っているように思えました。遺族の人は、数か月の間も連絡がなかったことを悔やんでいる様子ではなかった。家族・兄弟が何をしているのかに関心のない人たちもやはり無関心なのだろうか。人が人に無関心な世の中は、怖いと感じます。死ぬことよりも怖いことだと思います。でも、みんな死を恐れ、怖がり、人の無関心なことを怖いとは感じない。何故なのだろう。昨日は、こんなことを考えさせられました。

2009/5/14 木曜日

残したいものは何ですか?

Filed under: 仕事 — admin @ 12:25:15

つい最近、保険会社の仕事をしている友人と会いました。

彼より保険の勧誘を受けていろんな話をしました。我々の仕事と保険の仕事は、死に関連することに近い関係にあります。

我々のFSN九州において、企業契約のサービス商品として、葬儀費用プランという業務災害総合保険をAIU保険会社と連携して進めています。内容は、葬儀費用100万円を保障するという内容です。(詳しく知りたい方は、問い合わせください。)

さて、保険については、私は個人的には、加入を今までしていませんでした。過去にいろいろと保険の勧誘を受けていましたが、よく言われるのが、「入っていたほうが、もしものときは安心よ。家族にも迷惑かけられないでしょう。」といったことがよく言われます。私は、そんな言葉を聞いても心が動きませんでした。なぜなら、保険に入っておけば、なぜ安心なのかを誰も語ってくれなかったからです。確かに自分の家族を大事に思っています。愛しています。しかし、私が死んだあと、どのように生きていくかは、残された家族が自分たちで考えるべきだと思っています。私が残された家族に望むことは、自分がどれだけ家族のことを大事に思い、どんな風に家族があってほしいと思っていたかを汲んで生きてくれるかだけだからです。これはお金では伝えられないものだと思っていました。

私の友人の保険会社では、保険加入をしてもらった人にあるメッセージを出していました。それは、家族へのラブレターを書くことを勧めるものでした。

その一節を紹介します。

保険って、思えばとても不思議なもの。

自分のいなくなった後のことについて、あれこれと考えさせられる商品です。

家族には、いつまでも元気でいてほしい。つらいことや苦しいこととは、なるべく無縁であってほしい。

誰もがそう願い、そして、そのためにできることならどんなことでもしたい、そう思います。

保険は、あなたの大事な人を守るために、とても有効な方法です。

困難を乗り越えるための、きっと大きな手助けとなるでしょう。

私たちは保険のプロとして、自信を持って、胸を張って、そう言うことができます。

けれども、保険は万能ではありません。

どちらかと言えば、保険とは、言葉少なにそっと陰から見守るタイプです。

この保険に託したあなたの大事な人への想いを、雄弁に語ることは少し増えてです。

今日保険に加入されたあなたに、私たちからのささやかな提案があります。

今の想いを、わかりやすいかたちで残してみませんか。

この一節の保険という言葉を葬儀に置き換えてみても、通じる話だなと私は感じました。これなら保険に入ろうかなとも思いました。

保険についても、保険金に込める想いが必要なのでしょう。それを残すことが大事なのだと気付きました。お葬式も同じなのだと思います。

事前準備を行う、葬儀社と相談することをこのブログの中でも重要だというお話を何度もしましたが、費用だけでなく、残される家族のための想いや、故人への遺族の想いは何なのか。それが重要なことだと思います。

小生、友人の保険に加入することに決めました。家族への愛や想いをこめて・・・。

2009/2/8 日曜日

最近の子供は!

Filed under: 仕事 — admin @ 23:52:50

1月のブログの更新がたった1回しかできませんでした。いろんなことを思うことがあったのですが、1月は、お葬式の件数が増える関係もあり、忙しさにかまけてブログはお休み状態でした。申し訳ありません。

さて、先週になりますが、さる葬儀社の依頼で病院にお迎えに行きました。病院に到着すると、故人の娘さん方とお孫さんが数名いました。

お孫さんたちは、中学生・高校生ぐらいの男の子がいましたが、一見して悪ガキっぽい格好をしておりました。私は、遺体を霊安室から運び出す作業をする際には、いつも遺族の人にも一緒に作業をしてもらうようにしています。何故なら、葬儀は、葬儀社がするものではなく、遺族が行うものだという意識を少しでも持ってもらいたいからです。この男の子たちにも当然のごとく、手伝ってもらいました。まあ、言われればその通りに黙ってやりましたので、さすがに悪ガキでも、祖母の死は辛いのであろうなあと感じました。そして、寝台車で搬送する際に、寝台車に同乗する遺族の方がいるかを尋ねると、この二人の男の子が同乗してくれました。「ああ、やっぱりおばあちゃんのことをちゃんと見送ってあげよう」と思っているんだなと感心しましたが、違っていました。この男の子たちは、ただ単純に自分の親から離れたいために、寝台車に乗ったのでした。

搬送中に、この子どもたちは、自分の学校での悪ガキぶりの自慢話を大きな声で始めました。シンナー吸った。喧嘩して人を傷つけた。友達は、鑑別所にいるといったことを、一緒に乗っている私たち大人がいることを忘れたような会話です。この子供たちがどんなに悪いことをしようと私には直接関係ないことですし、悪いことをして、将来困るのは自分たちなので、正直どうでもよいことなので、普通であれば気にもなりません。

しかしながら、自分の家族の死に直面している状況であることをどのように感じているか。車で移動中に無性に腹が立ちました。到着後に少し注意をしましたが、どこまで理解してくれたか心配です。

この子供たちは、家族の死をどのように感じているのか。本当にわからない。言動や態度からすると、何も感じていない。まだ幼い孫を元気のよかったおばあちゃんは面倒を見てあげたこともあるであろうに、そんな記憶が一切に無いようでした。悲しくもなく、遺体を見ても死への恐れといった感情がない。遺体に直面していながら、人を傷つける話が出来る。そんな感情や姿勢が理解できませんでした。昨今、学校教育や先生の問題を大きくクローズアップされる世の中ですが、教育をしてもらう側に人間が、教育を受けさせてもらう者として心構えや姿勢というものがないと話にならないかとは今までも思っていたことですが、今回の子供を見ていますと、やっぱりそうだな。まともに人の死をどのように受け止めるべきなのか。学校とは何かといったことを親から教えてもらっていないことに問題があるのであろうなあと思います。子どもの教育をできない親が増えている。そして、その子供たちがまた子供を育てれば、将来は暗い未来しか見えてこないのではないか。人の死をただ無感情に迎えるだけでは、葬儀社まかせの葬式になるのは当たり前。残るは葬式代だけの問題なのであろうなあ。お葬式をきちんとすることは、人を大切にすることだと思っていましたが、今の世の中、その前提となる感情がなくなりつつあるような気がします。

2008/11/24 月曜日

生前予約の現実

Filed under: 仕事 — admin @ 13:56:01

われわれ葬儀社は、基本的に「待ち」の仕事です。ご理解いただけると思いますが、一般のご家庭に、「葬儀社ですけど、御用はございませんか?」とは営業をかけることはできません。それでも、互助会系葬儀社は、「もしものときに、安心ですよ。」と営業をかけています。私の何度か自宅にいて、互助会の人から電話セールスを受けたことがありますが、「相手のことも考えずに、よく出来るなあ。」と感心します。

我々、非互助会系の葬儀社においては、日々人脈を作り・信頼されることが日々の営業活動であり、また、通常の葬儀施工での評価を上げることが、リピートを増やすこと、次への人脈構築だと考えて仕事をしているものと考えます。

そのような中で、「家族が危篤になりました。その時はよろしく」といった電話をお客様より頂戴します。我々にとって、これを予約と呼んでいます。予約の中身は様々です。リピーターの人であれば、以前の施工内容を基本に大体こんな葬儀をするだろうなあというイメージが出来ます。ですから、予約のときにそれほど気を遣うこともなく、現状を確認し、「御大事に・もしもの時は慌てずに電話を下さいね。」と優しい言葉もかけやすいものです。

これが全く知らない方からの予約の電話ですと、いろいろとお聞かせねばならないことがあります。中には、個人情報にかかわることを聞かないと的確なアドバイスができないことも多々あります。このようなケースで往々にあるのが、「いくらぐらいかかりますか?」「大体このぐらいです。」といったやりとりで終わることです。

確かに葬儀費用は、心配なことであるのでしょうが、内容の無い金額は、意味があるようでない。これで安心とは言えません。葬儀社に関する不満で一番多いのは、後から請求書見てびっくりといったことなのでしょうが、最初に中身のあることを決めていないから後から見てびっくりするとか、チラシで言っていることと全然違うなどといったことになりがちです。

昨今、世の中で個人情報についてはセンシティブになっています。葬儀業界でも同様です。また、死に直面した家族に対して根掘り葉掘り、いろんなことを聞くのは、気が引ける葬儀社も多いと考えます。良いお葬式をリーズナブルに行うためには、葬儀社と消費者がよく相談しながら、お互いに情報開示を行い、打ち合わせを行う必要があると考えます。

2008/7/28 月曜日

お布施について その4

Filed under: 仕事 — admin @ 13:26:03

このブログの更新が遅くなりました。お詫び申し上げます。

実は、お布施のことで、消費者の皆さんがどんな風に思っているのかをインタビューするのに手間取っていました。知人の人たちに聞けばてっとり早いと考えていました。なかなか都合がつかず、時間がかかっていました。

さて本題に入ります。

お布施のことをこれまで3回にわたり、書いてまいりました。宗教的な意味合いや葬儀事業者である我々が感じていることなどを書いてきました。

私がインタビューしたのは、友人(男性)や子供の学校(PTAの役員をしております)のお母さん方へ、話を聞いてきました。

まあ、ほとんどの人たちは、年齢的(30-40代・中には20代もいたかな)にも、葬儀のことや寺院とのつきあいをほとんどしたことがない人たちですので、突然、「お布施について、どう思う?」と聞いたところで、ポカンとした感じの人が多かったですね。 お布施の意味あいや金額の妥当性なども全くわからないといった感じでした。

ただ、金銭が動く。そして、それを寺院の払う。といったことだけから判断して、やはり、お布施は、寺院への謝礼の意味あいだと感じているようです。

お寺は、お布施を修行だと考えているのだよと話をすると、違和感を感じているようでした。やはり、宗教的な知識を持たないと金銭の動きだけを見てお布施の意味あいを推し量っているのであろうと想像がつきます。中には、「勉強せないけんなあ」と言っていた友人もいましたが、ほとんどの人は、宗教的意味を学ぼうとはしませんね。宗教的なものと聞いて感じることは、どうもオカルトやオウム真理教みたいなものを思い描く見たいです。

宗教が本当はもっと身近なものであることを教えてもらっていない我々世代は、事件や映画の世界で、語られるお話を、事実そのものだと感じるようです。では、葬儀はどう思いのかを考えると、やはり意味あいはあんまり関係ない。でも、時々葬儀に参列したこともあり、家族が死んだら、葬儀をするものだといった認識は持っているようです。でも、本当にせにゃならんのかと逆に質問されたりしました。

先般、私の住んでいる北九州市門司区大里の地域活動で、この地域の小学校2校と中学校1校の校長先生が、「子育て」について家庭に望むことを講演する場がありました。その中で、人を大事にすることを教えることの中で、お墓参りや仏壇を拝むこと。先祖を大事にすることは教えることが人を大事にすることにつながるといった内容をお話されました。これは教育で宗教とは関係ないと言ったこともお話をされました。 校長先生の言われるとおりだと思います。葬儀のこのような意味が含まれているものだと思います。しかしながら、我々親が、その意味を理解しないと子供を育てることが出来ないものです。親の世代や祖父母の世代がしっかりと伝えていくことが、必要なことであろうと思います。お布施の意味にしろ、葬儀の意味にしろ、我々がもう一度知識を蓄えることが必要なのだと思います。

2008/7/4 金曜日

お布施について 3

Filed under: 仕事 — admin @ 0:20:45

少し時間が空きましたが、お布施についての3回目のレポートです。1回目は、私の考え、2回目は、お寺の考えについてレポートしました。3回目は、私の周辺の葬儀社の考えについてレポートします。

葬儀社の方々は、葬儀のお世話をする際に、必ず、遺族から聞かれることで、「お布施を幾らにすればよいだろう」であることは重々承知済みで、それぞれが経験上の知識の中で、「ここのお寺は、幾らぐらい必要だ」というアドバイスが出来るのが当たり前です。ですから、皆さんが、突然にお葬式をするようなことになって、お布施のことが気になる場合などは、葬儀社の担当者の人に聞けば、それなりにアドバイスはしてもらえるものと考えていて良いと思います。

しかし、そのアドバイスが的確な金額的に妥当なものであっても、お布施の意味がわからないと、皆さん方は釈然としないでしょうし、そんなお金は、なぜ負担せねばならないのだろうと感じるのではないでしょうか。そう思うと、そのお布施の金額をアドバイスした葬儀社の不信感につながってきてくるのではないかと思います。このレポートの1回目で、私は、お布施のことを聞かれると、「直接お寺とお話ください」と話をすると言いましたが、意味がわからないものにお金を遣うほど、ストレスのたまるものはないですし、私は、お布施の意味を皆さんがわかるようには説明できませんので、直接話をしてもらい、意味を分かってもらったうえで、お金を使ってもらいたいと考えているのです。

さて、2回目のレポートで宗教家の方々は、お布施を修行の一つと考えているというお話をしました。また、皆さん方の認識は、謝礼の意味だと考えているというお話をしました。これだけ食い違うとお布施は、釈然としない、得体の知れないものだと感じるのは当然です。また、我々葬儀社の人間もどちらかと言えば、謝礼の意味で考えている人が大半だと思います。中にはお布施の意味あいと修行であることを理解している人もいるとは思いますが、その話を皆さん方消費者の方々に、もっともらしく話をする人は少ないのではないでしょうか。何故なら、宗教家でもない葬儀社の人間が、顧客である消費者の皆さんと違い感覚でお布施を説明しても、皆さんは、全く理解できないはずだからです。

我々の仲間では、よくお葬式をする意味を消費者の考えてもらうことが必要だということを話し合いをします。昨今、ただ火葬をするだけといった葬儀の簡素化の流れがあります。葬儀費用を安くするだけで、それ以外のことをおざなりにしている。そのようなことが人を大事しない世の中につながっているといったことが話題に上ります。この中で、我々葬儀社の人間がただ利益の為だけに仕事をしている姿勢は是正が必要だと思いますし、皆さん方にも葬儀のことを考えてもらうための様々なきっかけを作る活動が必要だということを言われる葬儀社の多いです。

そのような葬儀社の方々は、宗教家のかたがたにも同様に、なぜ宗教が必要なのか。なぜお布施が必要なのかを、もう少しわかりやすくそして、さまざまな場所でより多くの人たちに問うてもらいたいと思っている人たちが多いことも事実です。我々葬儀社業界と宗教界でそんなことを協業して出来ればよいのになあと思うこの頃です。

2008/6/11 水曜日

お布施について

Filed under: 仕事, 閑題 — admin @ 4:04:25

FSN九州株式会社の代理店となっている多くの葬儀社さんが加盟している全日本葬祭業協同組合連合会(全葬連)という団体があります。

この全葬連が、これまでに数回にわたり、財団法人日本消費者協会の協力で、葬儀について消費者に対してアンケート調査を行っております。その中で、葬儀を行う中でわからないことは何かという設問に対して、「お布施」という回答が多いので、今月はお布施について少し書いてみたいと思います。4回に渡って書いてみたいと思います。初回は、私の私見。2回目は、寺院の立場(とはいえ、私の知人のお寺さんの意見)。3回目は、一般的な葬儀社の意見(私の周りの葬儀社が思っていそうなこと)。4回目は、消費者の立場といった感じで書いていきます。

まずは、私の意見。では、始めます。そもそも、お布施が幾らかかるかを葬儀社に聞くことに疑問を感じます。お布施を払うのは、消費者で、もらうのは、お寺の人。それなら、何故直接に聞かないのでしょうか。

お布施にはそれなりに意味やどのように使われるという背景があるから、幾らというものが計算されるものではないのかなと思います。これを知っているのは、お寺を運営している人だけだと思います。ですから、葬儀に従事していれば、お寺との付き合いが深いという理由だけで、お布施のこともわかっていると消費者が想像することは、理解しますが、葬儀社もお寺の運営がどのように行われ、どんなコストがかかっているのかはわからないのが実態だと思います。お寺の運営は、葬儀社よりも檀家のほうが、余程詳しいはずですが・・・。

また、お布施は高いという声をよく聞きます。葬儀社の中には、お布施も葬儀代金と一緒に消費者から預かることもあると聞いたことがあります。これも変なお話だと思いませんか。ごく普通の一般的な商行為として、誰か(消費者)が誰か(お寺)に支払うを行うことを第3者(葬儀社)が代行すれば、そこに第3者の利益が上乗せされるものだと思います。高いと言いながら、わざわざ高くなることを選択して、葬儀社に頼むのはいかがなものでしょうか。まあ、お布施を葬式代と一緒に回収するという葬儀社の態度も問題が多いと思います。それこそ、「人の弱みにつけこんだ」行為と思われても仕方がないのではないでしょうか。それと、高いと思うのは、やっぱりお寺が日常何をしているのかがわかっていないから、どんなコストがかかっているのかを知らないからだと思います。やっぱり、運営そのものをつまびらかにすべきではないでしょうか。昨今よく言われる「情報開示」だと思いますが・・・。

お寺もお寺だと思います。自分の檀家の人が、お布施の値段がわからないと思っている人が多いことに早く気付くべきですが、なかなか言わない。もう少しわかりやすくしてあげるとか、運営の実態を明らかにしていくとかしないといけないのではないでしょうか。そうしないと何時までも経っても、お寺と檀家の間のことを第3者の葬儀社が介在しなければならないことになります。これは、葬儀社に主導権に握らせることになり、両者にとってあまり良いことではないと思います。

こんな風に考えると、お布施については、当事者同士で直接話し合いを行い、両者が納得し、支払う・支払ってもらうということをすべきで、葬儀社が助言することや介在することそのものがおかしいのではないかと思います。私は、お布施が幾らかと聞かれると最初に言うことは、「直接聞いてください。」と答えます。

人の死を弔い、明日への糧とする意味がお葬式にあるのであれば、上辺だけの優しさや便利さを追い求めるのでなく、本質的な意味を考えることが必要なのだと思うのです。葬式をする意味や祭壇はなぜ必要なのか。お寺との付き合いがなぜ必要なのか。
そもそもお寺とは何だ(ずっと昔からあるわけで、意味があるから続いているはずです。)我々が生活している中で当たり前にあることですから、その意味を深く考えずに生活してきたから、わからない。わからないから聞かない。悪循環です。

皆さんもお寺やお布施のことを一度考えて、できればお寺との話し合いをしてみてはいかがでしょうか。何らか答えが見つかるかもしれません。

2008/4/29 火曜日

家族葬って何だろう

Filed under: 仕事, 葬儀 — admin @ 10:58:38

最近、霊柩車でお迎えに行き、搬送途中でご遺族の方から「家族葬でお願いします。」とよく言われます。少し前までは、「密葬でお願いします」と言われていたのですが、言葉が変わったきました。よくよく聞いてみると、家族葬と密葬は、同じ意味で使われています。要は、お葬式に参加する人の数が少ないことを意味と、葬儀費用を抑えたい意味が含まれているのです。

我々葬儀社も、こんな意味あいで「家族葬・密葬」という言葉を使われていることは、重々承知しており、「ああ、そうですか。それではそうようにいたしましょう。」といった感じで、打ち合わせを始めます。

さて、打ち合わせが始まり、我々が、遺族の言っている意味の「家族葬」で行うなら、こんな風になりますが、会葬者や弔問者はないと考えてよいですね。と尋ねると、「イヤー。それはわかりません。町内の人は仕事関係の人には連絡しないといけないし・・・。」と答えが大半です。

では、「ご家族だけで行うのではないのですか?」と尋ねると、「そうしたいけどねえ。町内の人とか呼ばないのは変ですかねえ。」と逆に質問されます。

「人とのお付き合いは、今後のご遺族が行っていくわけですから、連絡するかどうか。参列してもらうかどうかはご遺族の判断が必要ですよ。私なら、今後の町内の人とのお付き合いは大切だと思いますし、お葬式に参列されなかった方が、お悔やみに自宅に三々五々来宅された場合の対応などは気を遣いますので、大変だと思いますよ。」とアドバイスします。

その他にも、「家族葬でするから、無宗教で行う。」では、お葬式の後は、お骨はどうするのかと尋ねると、それは決まっていないとか。普通に納骨する。その場所は、寺院にお墓があるとか。少々、遺族の矛盾した要望を聞くことになります。そして、その都度、質問し、アドバイスをしていくと、段々と普通にお葬式と普通に納骨まで行う流れに変化していきます。ただ、単純に普通のお葬式で、小規模なだけ。ここまで来るのに、こんな打ち合わせは相当に時間を要します。何故なら、遺族の人がお葬式から始める人との繋がりや、寺院のお付き合いなどを考えていないので、ああ、そんなことも気に使わねばならないのねえ。といった感じですから、お葬式の中身の打ち合わせは、ほとんどありません。

どうやら、消費者の皆さんは、「家族葬」と言えば、葬式費用が安くなるぐらいの気軽な気持ちで使っているだけのような気がします。それ以上に考えて家族で、残った家族が、社会の中でどんな生活をしていくのか。家族がどんな生き方をしていけば、故人が喜ぶのか。そんなことを考えを葬儀社にも伝えてもらえるとありがたいなあと思います。そうすれば、きっと、満足のいくお葬式が出来ると思います。

2008/2/18 月曜日

自宅での死亡

Filed under: 仕事, 葬儀 — admin @ 19:07:34

我々の仕事の始まるである「お迎えに行く」ことは、病院だけではありません。亡くなり方は、さまざまですが、自宅で死亡する場合もあります。

自宅死亡の中で、この冬に一番多いのは、風呂場で死亡するケースが多いようです。健康に関する記事などでも、冬場の入浴には、注意するような呼びかけも多いので、注意が必要です。 また、核家族化社会の中で独居生活をしているケースなどは、死亡の発見が遅れるケースも多く、遺体状況が悪い(腐敗など)もあり、衛生的な問題など、我々の業務もこのような場合を気を遣うことが多くなります。

独居生活などは、やはり常日頃より、近所付き合いや家族が連絡を頻繁に取り合うなどを行うことで、このような状況を回避していくしかないのではないかと思います。昨年度より、数件出くわしたケースでは、高齢者夫婦で生活し、認知症にかかっているために、一緒に生活している相手が既に死亡していることが、認識できずに、死亡の発見が遅れたケースです。 私が経験したケースでは、ご主人が、入浴していたところ、体の変調で急死。2日後に発見され、お湯に浸かっていた時間が長く、遺体状況は悪化していました。現場にお迎えに行ったところ、認知症の奥さんは、お子さんたちに、ちょっと前にお風呂に入ったのに、何でこうなるのかわからないと話をしていました。このケースでのご夫婦のお子さんたちは、非常にショックが多いようです。認知症とはいえ、連れ合いが亡くなっているのが判らないのか。との思いが強いのでしょう。お葬式をどうするかを考えるよりも、今後、この母親をどのように世話をするのかを考える方が深刻な問題なのだろうなあと感じました。こんな場合でも、お葬式という儀式は、進んでいくわけです。そうしないと遺体をどのように措置するのかを考えることも必要です。 亡くなってから、いろんなことを考えるのは、非常に難しい。亡くなった人に対しても思いやその後のことなど、いろいろと考えることが多いですし、このような場合は、いろんな意味で悔やんでも悔やみきれない思いがたくさんあると思います。

そうならないためには、事前に考えることや、高齢者の生活の在り方は、これから家族の中で真剣に考えねばならないことだと思います。元気だから、死を考えることは不吉だから、考えるのを先送りするのでなく、きちんと家族で話し合い、いろんなケースを考えて、死をどのように迎えるのかを個々人が考えることは必要なことであると思います。

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