2010/8/15 日曜日

家族のきずなを大切に

Filed under: 閑題 — admin @ 9:46:33

今年のお盆は、高齢者不明の問題が社会問題として言われています。マスコミや行政や100歳以上という区切りをつけて話をしています。一番の問題は、行方不明になっている高齢者の家族は、一体何をやっていたのかが問題なのだと思います。

「数十年前より連絡がない。」「どこにいるのかわからない。」と言っていることが、とても気にかかります。そこには、マスコミには言えないような家族の中の事情があるのでしょう。また、行政もそんな家族内の事情を個人情報として立ち入らないようにしているようです。こうなってくると、本当に何が問題なのかはわからないままになっているように思います。

家族のいう最低限のコミュニティの中で、解決できないような問題は一体何なんだろうと思います。 正直私にはわかりません。 家族の中で抱えている問題は、そんなに難しいことなのだろうかを再度考えてみてはどうでしょうか。実は、本当は些細なことだったりするのではないでしょうか。 問題は、話をしていないことなのだと思います。

家族の大切にする。 自分の産んでくれたお父さんお母さん。社会に出て、なかなか解決できない悩みごとを聞いて励ましてくれる最大の支援者は家族なのだと思います。 そんな家族の縁を切ってしまうことは、人生とてもさびしいことのように思います。

2010/7/31 土曜日

111歳の高齢者が亡くなっていた事件

Filed under: 閑題 — admin @ 9:11:39

1昨日より、新聞・テレビで大きく報道されています。東京都足立区で、東京都の最高齢者の云われていた方が30年前に亡くなっていた事件について感じたことを記します。 このブログは、こんな時事問題を取り上げることは、そぐわないかもしれませんが、ご容赦ください。

この事件、遺体がミイラ化し、染んだのは30年以上前らしい。そして遺族は、長寿のお祝いの金品を公的機関から授受し続けていたことや、数年前に亡くなった妻の遺族年金などの受領したいたことなどが大きく報道されています。

どこで読んだかの記憶は定かでないのですが、以前に読んだ物の中で、「人が死ねば愛用の品が残る。においが染みつき、ふとした折に生前の姿かたちがたちあがってもくる。その重なりが家の歴史を築いていく」と言った言葉を思い出しました。

こんな家の歴史も、死者をみとり、しっかりと葬儀を行い、家族の死をきちんと受け止めることがあってこそなのだと思います。
「生あるものは、何時か亡くなる」と言った言葉や、「家の歴史」と言ったことも、死を受け止め、今を生きることが出来ていないと成立しないのだと思います。

この家の方は、死者を30年以上、放置し続け生きていたことで、今を生きるために必要な金品を受領したのでしょうが、その家の歴史や人間性みたいなものを捨ててしまったような気がします。こんなことでは生きていく意味がないように感じました。

新聞報道を見てみると、数年前に亡くなった奥様という方は、元教員だったということですが、この奥様も生前既に亡くなっていたと思われる旦那さんを放置していたわけで、奥様のこの間どんな状況で暮らしていたのかは不明ですが、仮にお元気であったときに、旦那さんが亡くなっていたのであれば、奥様の感覚を疑います。とくに教員という職業からすると、人にモノを教え、人の道を教える立場の人間が、死を大事にしないとなれば、世も末だと思うのは、私だけでしょうか。

2009/12/26 土曜日

「お葬式」を話題としてお酒を飲む

Filed under: 閑題 — admin @ 11:36:36

気がつくと、2か月近くこのブログの更新を行っていませんでした。大変申し訳ありません。

11-12月度、年末が近づくにつれ何かと気忙しくなり、ついついブログに手がつかない状況と陥っていました。

さて、年末は忘年会やら何やらでお酒を飲む機会が多くなります。ついつい飲みすぎて翌日はツラい日が多くなります。また、余りお酒を飲んだつもりではないのに、翌朝、ツラくて起きられない。やっぱり年をとってきたのかなあと感じます。

そう言いながら、この季節、旧友と1年1回の忘年会は楽しみです。 仕事がらみの忘年会は、すっぽかしてもこれだけは外せません。 昔話や今の仕事の愚痴や夢。 家族のことなどいろんな話で盛り上がる。 仕事のシガラミのない忌憚のない意見交換は、本当に自分のためになると思います。

そんな中で、年をとるにつれ、誰かの親の亡くなったとかいう話が毎年少しづつ増えてきているように思います。 私たちの仲間うちでも、健康不安を感じているような人もいるようで、そろそろ葬式のことも考えようかなあとか冗談半分に言うやつもいました。

そんな話を聞きながら、少し違和感を感じるのは、健康のことも、葬式のことも、お金が心配だからということを言っている仲間がいることです。確かに、病気になれば、病院代がかかる。お葬式をすれば、葬式代がかかる。間違いのないことなのです。でも、それだけで健康や葬式のことを考えてよいのかと思います。 こうやって毎年年末に仲間が集まりどんちゃん騒ぎをする(結構お金はかかります。中には、わざわざ、遠方から泊まりがけで来る連中もいる)のは、何故なのか。やっぱり楽しいと思えるものがあるからだと思います。お金のことだけ考えたら、毎年は出来まないのではないでしょうか。

健康のことも、何のために健康で長生きするのかといった「生きがい」や、お葬式のことなら、何のためにお葬式をするのかを考えいかないとだめなのだと思います。 来年ぐらいは、お互いの人生を語り合えるような会になっていければ、なお一層自分の為になる会になるような気がします。

2009/7/13 月曜日

わからないことを聞けない人

Filed under: 閑題 — admin @ 19:53:52

私は、子供の小学校のPTAの仕事をしております。

本日、校長先生とお話をしていたことで、自分の仕事につながるなと思ったことをお話します。

校長先生とは、夏休み中の地域行事の件で、相談していておりました。それから、話がいろいろな話をしていまして、最後に学校教育の中で、先生たちに望むことと言った話をしておりました。

私は、「わからないことをわからないと聞ける子供を育ててほしい。」という要望を出しました。なぜなら、仕事上、いろんなことを相談を受けるが、自分が何がわからないのかをはっきりと言えない人が多い。以前にもお布施のことを書きましたが、お寺と付き合っているのは、その家族です。私たち葬儀社ではありません。昔と違い、我々の生活の中に、お寺との付き合いが深くなくなってきています。言い方変えると(悪い言い方で申し訳ないが)、「葬式坊主」と言った感じの部分が多くなってきています。だから、葬式の時に来るお寺のお布施の葬儀社に聞けばわかるはずと思っていることは想像出来ますが、本来は、遺族とお寺の関係でお布施は決まるものなのです。それをお寺に聞けないこととか聞きにくいということをよく言われる。私は、これが不思議なんです。と話をしました。

校長先生は、「なるほどねえ。」学校でも同じですよ。先生たちも若い先生ほど、一生懸命勉強しています。本読んだり、講演を聞きに行ったり、それはすごいですよ。でも、本当は、その学校の先輩の先生たちに、聞くのが一番手っ取り早いし、実体験に基づいた話だから、一番良いのだが、学校という組織の中で先生たちもわからないと聞けない人が多いのですよ。という話をされました。ここら辺が一番問題なのよねえ。どうしたら良いのかねえ。とああでもないこうでもないという話をしていました。

結局のところ、わからないと言ってもおかしないことなのだというその環境や雰囲気が必要なんだろうなあという結論に達しました。会社に戻って、このブログ書きながら思いますが、環境とか雰囲気ってどうやって作るんだろう。と悩みが一つ増えました。

2009/7/4 土曜日

自殺とお葬式 その2

Filed under: 閑題 — admin @ 17:14:29

最近、このブログを見ていただいている方が多くなってきております。このブログを検索される中でここ2-3ヶ月は、ずっとトップは、「自殺 葬式」という語句です。 この語句で検索される方はどんな方なのでしょうか。 家族の人が自殺をして、お葬式を出すのにどうすればよいかと悩まれている方なのか。自殺をしようとしている方が、見ているのか。

以前にも書きましたが、自殺を考えている方には、とにかく自殺はやめてほしいと思います。残される家族にとって、突然の死は、お葬式どころではありません。また、お葬式をちゃんとやらないと、心のけじめがつきません。そうすると、前向きに生きていけません。その点だけ考えても、自殺をするより、別の道を考えていただきたいと思います。

残されたご家族の方には、突然行わねばならないお葬式です。自殺の理由とかいろいろな世間を目や耳を気にしてしまいがちです。でも、目の前にあるお葬式から逃げるようなことはしないでほしいと思います。いろいろなことを考えて、周囲の人に知らせないといったお葬式は他の意味で問題が多いと思います。なぜなら、残された家族は、住んでいる場所で周囲の人と付き合いながら生きていかねばならないからです。自殺の理由やらいろいろな詮索を気にされるかもしれません。でも、それを乗り越えることにより、もっと強く生きていけるかもしれません。 今日、このブログのアクセスデータなどを見ていて思いました。

2009/6/11 木曜日

自殺とお葬式

Filed under: 閑題 — admin @ 9:02:33

社会的に、自殺者が増加していきます。最近感じることですが、少し自殺に対する世間の認識も変わってきたのかと思います。

以前でしたら、自殺をした場合には、何故自殺したのかなどを詮索されることを嫌い、遺族の人たちも死を伏せようとする意識が働いていたと思います。そのためにお葬式も、誰にも知らせないでひっそりと行うといったことが多かったように思います。

しかしながら、これだけ自殺者が増加し、自殺には、その理由を新聞やニュースで一般的に論じられるようになりました。また、そうならないために周囲の人たちや地域社会がどうあるべきなのかという議論もされるようになってきています。こんな背景の中で、自殺者が出た遺族の人たちに対する周囲の目は、少し変化してきているのかなと感じます。ここ数日の間に2件ほど、自殺者のお葬式があることを知りました。両方ともごく普通にお葬式をしました。 会葬者も故人と別れを惜しみ、遺族と故人を偲び、葬送を行った。そんなお葬式だったようです。確かに、自殺の理由には、世間的に格好の悪い点があると思われる方もまだまだ多いでしょう。故人を惜しみ、別れを行い、そして残された人たちがそのあとを助け合いながら、生きていく。そのための儀式であるというお葬式の意味は、自殺の理由を詮索する周囲の目を気にせずに生きていくためにも必要なことなのかも知れません。

2009/6/2 火曜日

こんなお寺は考え物だな

Filed under: 閑題 — admin @ 7:59:18

最近耳にしたお話をします。

父の法事でお寺に兄弟が集まったときのお話です。お経をあげ、10分間の休憩をはさみ、再度お経をあげる段取りだったそうですが、その休憩時間に事件が起こりました。兄弟の一人が父の戒名を書いた掛け軸を見たいと本堂の中に上がったそうなのですが、その時に灯明に肩がぶつかり、油がたいそうこぼれたそうです。そこらじゅうが油だらけとなったそうです。この人が悪いことをしたと住職さんにお詫びに行ったそうなのですが、住職さんが、「たいへんなことをしてくれた。」と大騒ぎになったそうです。休憩時間だったので、兄弟たちは、外にたばこを吸ったり、お茶を飲んだりしていたそうですが、騒ぎを聞きつけ、集まり。これは悪いことをしたなと思って様子を見ていたそうですが、住職さんは、突然「今日はこれで、終わりにします。帰ってください。」と言ったそうです。 兄弟たちは、みな茫然としたそうですが、仕方がないので帰宅したそうです。

お寺におって、本堂や仏具と言ったものは、大事なものなのでしょう。しかしながら、宗教とは一体何なんだろうと考えるとこの住職さんの態度はちょっと考えさせられます。宗教上のその儀式や形は必要なことだと思います。そして、その形の整えるためにモノは必要なことなのでしょう。でも、本当に必要なことは、何でしょう。葬式でも、宗教でも同じだと思う。せっかく、父の法要で兄弟が集まった機会なのに、モノが汚れたから法要を途中でやめる。これって本末転倒しているような気がします。

私にこの話をしてくれた人が言いました。「まあ、お寺も商売道具を汚されたと思ったのだろう。」 これが宗教に関心を持たない普通の人の感覚なんでしょうねえ。仏具などを商売道具と思われては、宗教家もたまったものではありません。しかしこれが普通の人の感覚なら、宗教家の人たちは、相当頑張ってもらわないといけません。

今の世の中、人の絆とか心の在り方などが問われる時代だと思います。宗教家の出番だと思います。もっと頑張ってもらいたいけど、この住職さんのようでは、なかなか上手くいかないかなと感じます。

2008/6/11 水曜日

お布施について

Filed under: 仕事, 閑題 — admin @ 4:04:25

FSN九州株式会社の代理店となっている多くの葬儀社さんが加盟している全日本葬祭業協同組合連合会(全葬連)という団体があります。

この全葬連が、これまでに数回にわたり、財団法人日本消費者協会の協力で、葬儀について消費者に対してアンケート調査を行っております。その中で、葬儀を行う中でわからないことは何かという設問に対して、「お布施」という回答が多いので、今月はお布施について少し書いてみたいと思います。4回に渡って書いてみたいと思います。初回は、私の私見。2回目は、寺院の立場(とはいえ、私の知人のお寺さんの意見)。3回目は、一般的な葬儀社の意見(私の周りの葬儀社が思っていそうなこと)。4回目は、消費者の立場といった感じで書いていきます。

まずは、私の意見。では、始めます。そもそも、お布施が幾らかかるかを葬儀社に聞くことに疑問を感じます。お布施を払うのは、消費者で、もらうのは、お寺の人。それなら、何故直接に聞かないのでしょうか。

お布施にはそれなりに意味やどのように使われるという背景があるから、幾らというものが計算されるものではないのかなと思います。これを知っているのは、お寺を運営している人だけだと思います。ですから、葬儀に従事していれば、お寺との付き合いが深いという理由だけで、お布施のこともわかっていると消費者が想像することは、理解しますが、葬儀社もお寺の運営がどのように行われ、どんなコストがかかっているのかはわからないのが実態だと思います。お寺の運営は、葬儀社よりも檀家のほうが、余程詳しいはずですが・・・。

また、お布施は高いという声をよく聞きます。葬儀社の中には、お布施も葬儀代金と一緒に消費者から預かることもあると聞いたことがあります。これも変なお話だと思いませんか。ごく普通の一般的な商行為として、誰か(消費者)が誰か(お寺)に支払うを行うことを第3者(葬儀社)が代行すれば、そこに第3者の利益が上乗せされるものだと思います。高いと言いながら、わざわざ高くなることを選択して、葬儀社に頼むのはいかがなものでしょうか。まあ、お布施を葬式代と一緒に回収するという葬儀社の態度も問題が多いと思います。それこそ、「人の弱みにつけこんだ」行為と思われても仕方がないのではないでしょうか。それと、高いと思うのは、やっぱりお寺が日常何をしているのかがわかっていないから、どんなコストがかかっているのかを知らないからだと思います。やっぱり、運営そのものをつまびらかにすべきではないでしょうか。昨今よく言われる「情報開示」だと思いますが・・・。

お寺もお寺だと思います。自分の檀家の人が、お布施の値段がわからないと思っている人が多いことに早く気付くべきですが、なかなか言わない。もう少しわかりやすくしてあげるとか、運営の実態を明らかにしていくとかしないといけないのではないでしょうか。そうしないと何時までも経っても、お寺と檀家の間のことを第3者の葬儀社が介在しなければならないことになります。これは、葬儀社に主導権に握らせることになり、両者にとってあまり良いことではないと思います。

こんな風に考えると、お布施については、当事者同士で直接話し合いを行い、両者が納得し、支払う・支払ってもらうということをすべきで、葬儀社が助言することや介在することそのものがおかしいのではないかと思います。私は、お布施が幾らかと聞かれると最初に言うことは、「直接聞いてください。」と答えます。

人の死を弔い、明日への糧とする意味がお葬式にあるのであれば、上辺だけの優しさや便利さを追い求めるのでなく、本質的な意味を考えることが必要なのだと思うのです。葬式をする意味や祭壇はなぜ必要なのか。お寺との付き合いがなぜ必要なのか。
そもそもお寺とは何だ(ずっと昔からあるわけで、意味があるから続いているはずです。)我々が生活している中で当たり前にあることですから、その意味を深く考えずに生活してきたから、わからない。わからないから聞かない。悪循環です。

皆さんもお寺やお布施のことを一度考えて、できればお寺との話し合いをしてみてはいかがでしょうか。何らか答えが見つかるかもしれません。

2008/4/24 木曜日

最近腹が立ったこと

Filed under: 閑題 — admin @ 15:08:47

お葬式の仕事は、何時仕事が発生するかわかりません。 ですから、私は昼食時間がバラバラで、食べれるときに食べるといった感じになりがちです。

そうすると、ファーストフードやコンビニ弁当を利用することが多くなります。そんな中でファーストフードのお店は、時々イライラさせられます。

何度も行っているお店での出来事ですが、その若い店員さんはマニュアル通りに、注文を聞くことに徹しており、私は、新発売のこれこれの中身は何かと聞くと、何でそんなことを聞くのかという表情をされました。そんな表情をされたので、お客のこちらは、非常に恐縮した気分になり、ついついいつもと同じ品物を注文するはめになりました。そうすると、この店員さんは、さっきの表情が突然消え、笑顔(作り笑顔)で「ありがとうございます。」と大きな声が言い放ちました。笑顔を作りものなら、ありがとうの言葉も作りもの。なんだか非常にモヤモヤした気持ちになり、テイクアウトして事務所で食べながら無性に腹が立ってきました。

お葬式のときも、同様です。我々が作りものも言葉や態度では、決して良いお葬式にはならないと思います。我々は、世間の人よりも、いろんな死に接する機会が多く、慣れてしまえば何も感じなくなるかもしれません。ただ淡々と仕事をするだけとなるかもしれません。本当にそれで良いのだろうか。

いろんな経験を、いろんな家族と接することでしている我々は、いろんな経験をさせてもらったお客様に対して、そのお礼や感謝を述べるような機会をあまり得ることができません。なぜなら、お葬式はお客様にとって何度も経験することがないものだからです。しかし、我々は、そのお客様に対してではなく、次のお客様に対して、その経験を活かして、良いお葬式をしていただくためのお手伝いをしていくことで、お礼や感謝をしてく必要があるのだろうなあと思います。ファーストフードの店員のようなマニュアル化した接客では、対応できない仕事だと思います。

2007/11/22 木曜日

75歳以上の人口が1割を超えたそうです。

Filed under: 閑題 — admin @ 12:51:02

本日の新聞を見ていますと、総務省が発表した11月1日現在の推計人口によると、国内の総人口に占める75歳以上の後期高齢者の割合が10.0%となり、1950年の調査開始以来、初めて1割になったそうです。50年当時は、1.3%の割合だったのが、一貫して上昇し、1割となったとのことです。年代別では、15歳皆んの人口は、昨年10月調査より、15万人減ったそうで、65歳以上だけが93万人も増えたそうです。

本当に、少子高齢化社会、それも超高齢化社会へと進みつつあるのが、現状ですね。高齢化社会では、様々な面において、過去の体験が通用しない社会がやってくるのではないかと思います。特に、「人の死」は、過去においては、家族が亡くなった人を看取り、葬送を行うのが当たり前であったことが、出来なくなる可能性があります。何故なら、亡くなった人も高齢者・葬送する側も高齢者。こうなった場合に、葬式に対する価値観も変わってくると思います。どんな世の中になるのでしょうか。想像すると少し怖いなあと思います。

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