2010/7/14 水曜日

大分県 大野葬祭さんでのリニューアルイベント開催

Filed under: 未分類 — admin @ 16:11:33

先般、わがFSN九州の代理店の有限会社大野葬祭さんで、斎場リニューアルに合わせてイベントを開催しました。その内容をレポートします。

 

九州圏内のご葬儀の状況を見たときに、ご葬儀代金やサービス内容を比較したとき、各社さまざまでありますが、各県単位の状況を見たときに、大分県のサービスがかなり遅れている事があります。それは、「湯かん」です。

FSN九州(フューネラルシステムネットワーク)という、九州50数社、100数斎場の加盟する組織があります。

大分県では、大分市の風の荘、宇佐市の秀平葬祭、日田のこうだ玉川斎場、豊後大野市の大野葬祭、佐伯の柴田装具店が加盟しております。

先日、FSN九州の会議を福岡で行っていた際のことですが、大分県以外の葬儀社の8~9割は「湯かん」を行う環境が整っているのに対し、大分は1社も「湯かん」を執り行える葬儀社が存在しなかったのです。また、「湯かん」の業者が存在しないことがわかりました。

 

「湯かん」とは、湯灌専門スタッフにより、故人様に浴槽につかっていただき、体の隅々まで洗体を行い、続いて洗髪、シャンプーにトリートメント、ドライヤーで乾かした後は、髪をセットし、顔そりをし、お化粧により整えさせていただき、最後にご要望に応じて旅衣装に御着替えをさせていただくというものです。その際もご遺族の方に確認を取りながら、より生前のお姿に近づけるよう努力をさせていただいております。

それもすべては「ご遺体の尊厳の保護」という観点に則った儀式であり、ご遺族の方には「故人が最後にお風呂に入ることができ、また、自分たちの手で最後のお見送りをきちんとしてあげることができた」という感謝の言葉と、ともに大変高い評価を頂いております。

そこで我々、FSN九州、大分ブロックメンバーは大野葬祭を中心に、大分でその湯灌の事業所を開設し、大分の葬儀文化向上のため、取り組みを開始しました。

 

大野葬祭におきまして、最初に取り組みはじめたのが今年の3月くらいですので、まだまだ日が浅いのですが、消費者よりスタッフの期待以上の高評価を得ることができている状況です。

 

また、このたびこの「湯かん」というサービスを広める良いきっかけとして、「大野葬祭みえ」におきましてリニューアルオープンイベントを73日の午前930分より行い、そこでデモンストレーションを行いました。

また、そのほかイベントの内容として、出棺の際に実際に流す葬送曲の生演奏三重奏(ピアノ、チェロ、バイオリン)を聞きながらの食事や、ご葬儀セミナービデオ放映、また、福岡より、葬儀アドバイザー神田紀久男先生をおよびし、講演を行います。「老後を安心して暮らすために」というもので、ご葬儀の事前準備をすることがタブーではなくなってきたこと、ご葬儀で不満を残すことが無いためには事前準備が必要である。という内容でした。また、同社は大分県で一番ありがとうと言われる会社を目指し、「思い出アルバム」として、5分間のビデオ放映や、メモリアル品、写真などを展示し、故人の生前のご功績を広く会葬者にお伝えできるよう努めています。また、葬儀の縮小化を見越し、モダンリビング葬(家族葬ルーム「絆」)をオープンなどの紹介を実施しました。

 

この先、高齢化社会は進み、葬儀も縮小化の傾向にあります。そして、これからは葬儀社はサービス業であるという自覚をさらに強め、葬儀社視点でなく、また、会葬者視点でもなくご遺族視点、さらには故人視点に立った展開をしていかなければならないという考えに基づいて事業を行っているとの大野葬祭の川野社長のお話でした。

 

2009/4/20 月曜日

葬儀社と相談して安心しました。

Filed under: 未分類 — admin @ 14:40:53

先般、私があるフリーペーパーに出している広告記事を見て、連絡をしてくださった方がいました。

その人は、私に「お葬式のことなら何でも相談していいんですか?」と聞きました。「はい、何でも良いですよ。何が聞きたいのですか?」と聞いたところ。「お布施って幾らなのですか?」と聞いてきました。私は、「宗旨やお寺により違いますから、いろいろ少し聞かせてもらえますか。」と状況把握を行うとすると、この方は、「お寺は葬儀社に紹介してもらう予定なんです。実は、親が危篤の状況で、葬儀社とは相談したのですが、お布施のことは聞きにくくて・・・」とのことでした。私は、「それなら、その葬儀社に懇意にしている葬儀社を紹介してもらえるのでしょうから、その葬儀社に聞くのが一番ですよ。葬儀社に葬儀のことを相談しているのであれば、貴方の置かれている状況の判ったうえで、紹介するといっているのでしょう。私に聞いてもお布施の金額が妥当なのかどうかわかりませんが・・・。」と言いますと、それからこの方は延々と現在の家族の状況やどんな風に葬儀をしたいのか・お墓も心配などを話をしました。最後に、相談に行った葬儀社の人は、お葬式の費用の見積をしてくれて、お寺は紹介してくれるのかと聞くと「紹介します。」と答えただけだったそうです。私は、この人に聞きました「あなたは、それでどう思いましたか。」この人は、見積もりをもらったから、「安心した。」と答えてその葬儀社から帰ったそうです。

私は、不思議に仕方ありません。見積もりをもらい、その葬儀社に対して「安心した」と言った人が、私に相談の電話をかけてくるのか?この葬儀社の担当者は、この相談者に対して何を説明したのか。この相談者は、何の説明を求めたのか。せっかく相談に行ったのに、この内容では、全く相談の会話が成り立っていない。相談者も葬儀社もお互いに理解しあえていない。こんな状況でなぜ「安心」という言葉が出てくるのか。まったく理解できない状況です。

私は、この方にススメしました。「再度相談に行くか。別の葬儀社に相談に行った方が良いですよ。出来れば、私の知っている葬儀社で貴方の近所の方を紹介しますから、どこの葬儀社に相談に行ったのか教えてもらえますか。」「〇〇社です。」私の知っている葬儀社でした。そこで仕方がないので、少し離れた葬儀社を紹介しましたが、この人は「遠いですね。」とのことでした。私もそれ以上、言葉がつけずいると、この方は、「ありがとうございます」と言って電話を切りました。

さて、皆さんどう思いますか? 本当の安心って何なんでしょうか。この方が、再度葬儀社を訪問されていることを祈念します。

2009/4/2 木曜日

「悼む人」を読みました。

Filed under: 未分類 — admin @ 22:53:26

最近売れている本である天童荒太さんの「悼む人」を読みました。

題材は、「人の死」です。さまざまな死を主人公が悼むための旅をする。題材は、非常に重いものですが、仕事柄興味をひかれて読みました。

主人公は、見ず知らずの死を悼むために、死があった場所を旅し、そしてその場所で悼みます。

悼むために、主人公は、亡くなった人が、「誰を愛し、誰に愛され、何をして感謝されたのか」を聞いて回ります。そして、聞いた話を中心にして、死者に対して、「貴方のことを忘れないように悼みます。」何時迄もに心に刻みこむ作業として、悼むのです。

死者のことを聞いて回る間は、変な宗教家などに間違えられたり、警察に事情聴取を受けたりと大変な目に会うのですが、そのうち主人公を通して、他人を一面的に取られ、人間不信に陥っているような人間が、人との絆の大切さなどに気づき変化していき、主人公と同様に悼みの旅を行うようになっていきます。

葬儀社の人間もこのような姿勢が必要なのではないでしょうか。故人がどんな人でどんな生活を送っていたのか。はたまた遺族の人たちは、どんな人なのか。そのようなことを知らないとなかなか良いお葬式の打ち合わせはできません。なぜなら、それらを知らないと葬儀社と遺族が行う打ち合わせは、単純にお葬式の形をどのように整えるだけに終始してしまいます。

しかしながら、個人の家の事情を聴きだすことはなかなか難しいことも、事実です。そこで、この「悼む人」の行動は、われわれの葬儀社にとっては、ヒントになるのかな。それは、「誰を愛し、誰に愛され、何をして感謝されたか」。これなら、遺族との打ち合わせの中で聞き出せるかもしれません。宗教に近しいことのようにも、思えるかもしれませんが、人を愛する・愛される。これは宗教というような次元の話ではないように思えます。何故なら、人は、一人では生きていけません。そして一人では死ぬこともできないからです。

2009/3/4 水曜日

Filed under: 未分類 — admin @ 21:42:19

「おくりびと」という映画がアカデミー賞を受賞しました。これをきっかけに友人や知人から「葬儀社はあんなことをするのか」と問われることが多くなりました。

おくりびとは、納棺という仕事を通して、遺族の人たちがどのように故人の死を迎え、そしてお葬式の流れの中で、時間とともに、その心が変化していくことをよく表現されているものです。

私は、これをきっかけに「生と死」を皆が考える世の中になってくれれば良いと思っています。何故なら、現在の社会は、「死」を隠す社会です。少し前の社会である戦争の時代は、死は、まぎれもなく生活の一部だったはずですが、我々が育った平和な戦後社会は、死を隠し続けてきました。今であれば、家で葬式を行うこともなく斎場にお葬式を行います。斎場は、遺族にとっても非日常空間なのではないでしょうか。その中で行われるお葬式は、死を身近なものと思わせないようになっているのかもしれません。ですから、生活の中に「死」が入りこむこともありません。また病院でも、病室内で同じ病棟の患者さんにも「死」を見せないような姿勢であります。

死を隠すことが今起こっている虐待や自殺といった命を大切にしないことにつながっているように思います。命の大切さは、物事全ての始まりです。その事が希薄な社会であることに我々は気づくべきであろうと思います。

おくりびとという映画が、こんなことを考えるきっかけになれば良いと思っています。

 

私は、仕事を通してその事を世の中に伝えていきたいと思っています。

2009/1/12 月曜日

お葬式は、誰のために行うの?

Filed under: 未分類 — admin @ 18:53:46

今月、無宗教で、奥様の葬儀を行った方がいました。 葬儀の施工担当者が、打ち合わせを行い、その内容を見た私は、「親族だけの家族葬を行いたいのだな。」とだけを思いました。葬儀が終わり、霊柩車の運転手から、出棺の様子や火葬場での話を聞きました。

喪主の方は、奥様について、様々な思いを、運転手に話をされたそうです。 無宗教でお葬式を行ったのですが、納骨するお墓は、田舎にあるそうで、これから、自分の死を考えた場合に、奥様と自分のお墓は別に建てようかどうか悩んでいるそうでした。 亡くなった奥様とは、ときどき自分たちの子供も、親とは同居せず、遠方に住んでいる。自分たちの老後の面倒を見てもらうことやお墓はまた別の場所にあるなど、子どもたちの面倒を考えるとどうすればよいのか悩んでいた。 結論が出ない間に奥様が亡くなったので、とりあえず、お墓のある田舎のお寺に頼むのもどうするかを決めていないので、無宗教で葬儀を行ったそうです。 運転手は、これからの喪主さんのことが気になり、これからも時々お話をしましょうと言って別れたそうです。

その後、この方より、葬儀施工のアンケートの回答をいただきました。施工の内容については、満足していただいたようですが、お葬式は、誰のために行うのかがよくわからなかったとのご意見がありました。

確かに、夫婦間の愛情やいろいろな思いで。そして自分たちの死後の希望や悩みなどが一度に吐露されるのが、お葬式です。その中にこの方のように、お墓や自分の老後生活などいろいろな悩みを抱えながら、これから生活の第一歩が葬式だとすると、自分と奥様のことよりも、お寺やお墓のことなど、様々な周辺のことを気に掛けねばならないお葬式は、誰のものと言いたくなる気持ちはわからないものではないなと感じました。

2008/12/20 土曜日

生前予約の注意点

Filed under: 未分類 — admin @ 10:57:55

生前予約や生前契約をしたいというニーズは、超高齢化社会が現実になりつつある日本社会で増加しています。しかしながら、実際にはそれほど広まっていないように感じています。

過去にもこのブログで書いてきましたが、葬式の予約は、葬儀社に電話して「家族が危篤だから、もしもの時は、よろしく」と云ったことや、「一体いくらぐらい掛かるのか?」と云うぐらいのものから、詳細を吟味してどんな風なお葬式をするのかまで幅広いものがあります。葬儀社からすれば、どんな内容でも、予約は予約。有難いものですから、お客の表面的な要望に対して受け答えしておけば良いと対応しているのが現実だと思います。葬式は、よくわからないし不透明だという声をよく聞きます。このようになる理由は、何も葬儀社だけの対応に問題があるものではありません。やはり消費者側も自分たちがどんなことをお葬式に対して望んでいるのかを明確にせねばなりません。そして、それを具現化する手段を葬儀社に聞けば、詳細な内容の予約が出来るでしょう。相手側の要望を聞き、それを具現化する手段を知らないお客に対して、その内容を提案出来ない葬儀社は、そもそも論外の葬儀社であり、相手にしない方が良いと思います。

また、お葬式は、家族・親類縁者・友人・知人といろんな人がいろんな立場でかかわるものです。葬式代を払うのは俺だから、好きなようにしてしまうという訳にはいきません。葬儀社と打ち合わせをし、その内容を家族などと協議し、合意形成をしておかないとお葬式そのものがうまく運ぶはずはありません。そういった意味において、生前予約や生前契約の家族内での話し合いが一番のキーポイントだと思います。

しかしながら、最近思うことですが、この家族内での話し合いがなかなか出来ないという家庭が増えてきているのかなと思います。葬式だけでなく、いろんなことについての話が出来ない。 振り込め詐欺の問題をしかりです。何時からこんな風になってしまったのかなと考えさせられます。

せめて自分の家庭はそうならないように努力していかねばならないと思います。

2008/10/16 木曜日

生前予約について その2

Filed under: 未分類 — admin @ 22:09:49

10月初旬に、北九州市の葬儀社組合社員向けのセミナーを開催しました。

テーマは、「家族葬」について。 このテーマになった理由は、「家族葬」というニーズが増えてきている。しかしながら、消費者は、家族葬と言えば、費用が「安くなる」と思っている節があるとの我々業界側に困惑について議論したことから始まりました。いろいろと葬儀社の担当者が日頃、葬儀の打ち合わせを行っている中で、遺族の要望などの聞いている中の実態を調査したところ、消費者は、「規模や会葬者が少なければ、葬儀費用は安くなる」との思惑と、葬儀の内容がわからないから、葬儀社ペースの見積もりにならないように、予防線を貼る意味で、家族葬という要望を口にされることが多いようです。しかしながら、実際に本当に家族葬を行っているかというと、この割合はかなり低いようです。実態は、普通をお葬式をしたが、小規模だったというのが実態で、これを家族葬と呼ぶのかどうかは意見の分かれるところのようです。

家族葬については、その定義が不明確であり、小規模葬であっても、顧客や葬儀社が、それを「家族葬」と言えばそれで成立しているのが、現実だと思います。本当にそれでよいのかどうかも意見の分かれるところなのだとは思います。

さて、このセミナーの中で、関心を持った意見は、「最近は、葬式の打ち合わせをするのが難しくなってきた」といベテランの担当者の意見でした。なぜ難しいのかというと、以前は、葬儀の打ち合わせとなると、遺族の人が多数出てきて、ああでもないこうでもないと言いながら話をしていた。その最中に家族の関係やどんな仕事をしているのかなどの家族状況を把握することが出来たが、最近は、打ち合わせに出てくる人が少なくて、家族状況の把握が難しくなった。今は改めまって、家族状況を聞かないといけないことがあるが、顧客側からすると、家族関係や何の仕事をしているかなどを何で葬儀社に話さなくてはならないのかと怪訝な顔をする人もいる。と云うのです。特に「家族葬で!」という要望を口にされる顧客にその傾向が強い。と言ってました。

確かに、「費用を抑えるために、誰も呼ばないつもり」になっている顧客に、家族状況は聞きにくいなあと私も思いました。やっぱり、どんなお葬式をするにせよ、相手の状況や要望がはっきりと掴めないと良い提案は出来ないというどんな商売でも当たり前の真理は、葬式でも成立するなという感想を持った次第です。

また、家族の人が亡くなったばかりの状況で、葬儀社は話をします。顧客側の心理状態は複雑であることを葬儀社は重々承知していますので、慎重に話を進めるのは常識です。しかしながら、そうであるばかりに聞きそびれてしまうことも多いことも事実であり、良い提案をするためには、様々な情報を入手することも必要であります。 そのためには、亡くなってから話をする前に、葬儀社と一度は相談してもうらことが必要なのだと思います。

顧客の立場にたっても、やはり事前に相談した方が、自分のためになると思います。ただ見積もりして安いですよ。割引適用しますよというだけの葬儀社より、いろんなことを話をしてくれて、家族のことを心配してくれる葬儀社の方が、良いお葬式をすることができる選択肢を増やすことになります。
ただ、見積もらって、安いだけでは選択すれば、後から後悔することになるかもしれません。

では、良いお葬式とは何だろう。このことは次回に回します。

2008/10/13 月曜日

お葬式で「幸せ」を感じることもあるのです。

Filed under: 未分類 — admin @ 16:39:13

先般、私の前職の同僚の方から葬儀の仕事の依頼を受けました。亡くなった方は行橋市にお住まいだったので、私の仕事場である北九州市ではありませんので、わたくしどもの組合の仲間である行橋造花店さんをご紹介し、病院のお迎えから葬儀が終わるまでお付き合いさせていただきました。私自身、故人とは面識もあり、まだ現役の方であったため、訃報を聞いたときには、大きなショックを感じました。電話で依頼をしていただいた故人の部下や会社の総務の方とも病院で会いましたが、突然の死だったので皆さん、ショックと悲しみの中にいましたが、何より、ご家族の方の悲しみは、それは言葉で言い表せないほどのものに感じました。受け入れがたい現実の中でただ茫然自失といった感じでした。そのような中で、現実の時間は進んでいきます。葬儀の打ち合わせを行い、葬儀は進んでいきます。故人は、現役で工場長という立場でありましたが、社葬ではなく、個人の葬儀という形式で進みました。しかしながら、故人の会社での仕事ぶりや人柄が伺えるように、会社の方方が葬儀のお手伝いにやってきます。我々葬儀社との打ち合わせもほとんどがこのような会社の人たちと進めてまいりました。通夜・葬儀を通し、個人葬でありながら、大変な弔問者・会葬者があり、ご家族や葬儀をお手伝いした方々のご苦労は、大変なものであったと思います。多数の会葬者の中で、厳粛且つ盛大なお葬式を久々に経験させていただきました。この葬儀を通して、故人の奥様の言動や表情が病院で初めてお会いしたときから、葬儀を終える間に少しづつ変化がありました。最初は、旦那様の死が受け入れられず、茫然としていました。葬儀の準備・納棺・通夜・葬儀という時間の経過とともに、だんだんと夫の死を受けとめ、現実を受け入れるようになっていきました。そして、出棺のときには、会葬者へのご挨拶の中で、「こんな沢山の方に見送られることを感謝します。私は幸せ者だ」という意味合いのことをおっしゃりました。私は、この言葉に一番感動しました。2日後、故人宅を訪問し、葬儀代金の精算を行うときに、私は、この事を奥様にお話をしました。奥様は、「私は変なことを言ったかなと思った。だって葬式なのに、幸せを感じたことはおかしいかなと後から思った。でも、あの時は本当にそう感じた。何故なら、あんなに人が集まるとは思ってもみなかった。そして皆さんに良くしてもらったことを感謝している」というお話をしていました。たぶん、奥様の知らない会社の中の夫の姿を会葬者やお手伝いをしていただいた会社の人たちを通して、垣間見たのであろうと思います。お葬式の本当の姿の一面を見たような気がしました。確かに、お葬式には、形式や格式といったものが必要なのかも知れません。しかしながら、本当に必要なことは、この奥様のように、故人の姿を見つめなおし、それを心刻みこむことなのかも知れません。

2008/8/21 木曜日

生前予約について

Filed under: 未分類, 葬儀 — admin @ 20:15:02

生前予約は、葬儀をしようとする人が葬儀社に対して、葬儀を依頼したいことを申し出ることで成立します。内容は、生前予約の形体は大体3つに分類できると考えます。

①申込だけをする。②見積もりを取る③なんらかの前金を渡す(互助会を含む)

3つの分類ともよくあるケースです。葬儀を取り仕切った経験がたくさんある人でしたら、予約だけでもある程度自分がどのくらいの金銭的な負担や時間的な制約を受けるものなのかを経験知で理解できると考えます。このような人たちであれば、申し込みをしておけば、問題はほとんどないのだと思います。それでも不安な人は、葬儀社から見積もりを取って、中身の吟味と、内容の変更による変動がどの位あるのかがわかれば、大丈夫でしょう。最後に前金を渡す。これは、身寄りがいない方で時々、こんな申し出を受けることがありますが、これは、止めた方が良いですね。なぜなら、身寄りがいない人の場合に、誰が死後に葬儀社と連絡するのかをきめておかないと葬儀社に前金を渡したのが良いが、その葬儀社に連絡がなければ葬儀は出来ません。死後に自分の後始末をしてくれる人を探す、その人にお金を預けるほうが正しい選択だと思います。互助会については、お金を積み立てている分、少しは安心なのかも知れませんが、葬儀の内容と積み立て金で充当される内容が合致しているかどうか、きちんと把握しておかないと追加で内容変更を行わねばなりませんから、余り意味がないかもしれません。

結局のところ、葬儀を取り仕切る経験を一般の方が行うことは、稀であり。その経験知を積むことができないのが現実だと思います。 ほとんどの人が、葬儀を行う立場になれば、なんらかの不安を抱えているわけのですが、一体に何をどうすべきなのかさえわからないから、葬儀社と事前に話をしておきたいと思っているのが真実の姿だと思います。しかしながら、予約をしただけでは、内容の吟味が真剣に検討されていないため、経験の少ない消費者からすると、上辺だけの安心を得るだけで、いざ葬儀になった場合には、『どうしたらよいのかわからない』という状況は変わらないのだと思います。

生前予約をするにしても、内容と遺族が何をすべきなのかを明確に説明し、どんなことを考えておかねばならないかを教えてくれる葬儀社を選択することが必要だと思います。見積もりを取ってお金はこのぐらい準備してば大丈夫だと思っていると、いざ葬儀をやってみると、それ以上費用がかかってしまったという話はよく聞きます。これは、葬儀社が予約を受けたときの説明不足という責任もありますが、消費者にもお金だけしか聞かないという点にも問題があると思います。

わからないことをわからないのであれば、恥ずかしがらずに、何でも聞くことが必要だと思います。

2008/6/23 月曜日

お布施について 2

Filed under: 未分類 — admin @ 20:55:46

前回の私のお布施について考えについて引き続き、私の知人の寺院の方にお布施について聞きました。

私は、この人にお布施について、葬儀の中で、消費者がよくわからないことと中に「お布施」のことがよくわからない方が多いので、お布施とは何ですかと質問しました。 なかなか、考えさせる意味深な質問ですねえ。と言われました。まあ、こちらの聞きたいことはお答えいただきました。

 まず、辞書で、お布施を見ますと、二つの意味があります。ひとつは、仏教の中での修行の一つの意味です。二つ目は、読経や戒名を僧侶に頂いた謝礼の意味です。

我々のような葬儀業界の関わっている者や一般の方々は、普通、後者の意味でお布施を考えます。

しかしながら、仏教界の方からすると、お布施を前者の意味で考えているようです。

仏教では、仏の位に就くために、六波羅密(ろっぱらみつ)という行をしなければならないと説かれているそうです。その六波羅密(六つの行)の第一の行が「布施行」というそうです。お寺の方曰く、勘違いしているのは、葬儀や布施も死者に対して供養と思っていますが、すべては自分のために行うものということです。供養とはするものでなく、させていただくものであり、自分のためにするものだそうです。ですから、どのくらいのお布施が妥当なのかを考えると、自分の修行ですから、苦しくないとなりませんかねえ。とのことでした。

葬儀を死者に対して供養ではなく、自分のためのものだと考えは、我々FSNの葬儀に対する考えにも通じるものがあるのかなと思います。故人と絆は、自分のものであり、葬儀の施主になる、参列する。様々な立場があるにせよ、葬儀に参加する意味において、故人の供養ではなく、自分のためと思えば、葬儀にも意味が出てくるのだろうと思います。まずは、意味を考えることが必要なことなのであろうと思います。

しかしながら、我々は辞書の中のお布施の意味の僧侶への謝礼という概念を持っています。その中で、修行を考えることは、じっくりと落ち着いて考えないとなかなかできないことではないでしょうか。ましては、突然の家族の死を迎え、準備もなしに、葬儀を施工する中でお布施は、どうしても謝礼の意味で考えがちになるでしょうねえ。

さて、お寺さんも仏教者でもないわれわれがお布施をどのように考えているかは、百も承知で、幾ら支払えばよいかは聞きたいのよねえ。このお寺では、次のように、言われているようです。葬儀の見合った金額(祭壇の金額相応)もしくは、祭壇の費用の半額を目安にしてください。と・・・・。

我々、葬儀業界の人には、わかりやすいですねえ。しかしながら、一般の人には、難しいかもしれませんねえ。何故なら、祭壇の費用の適正金額がわからないといけません。これまた、死を準備をしておかないとわからない。ここら辺は、葬式代の公式をこのブログに書いていますので、参考になさってください。それでもわからない人は、我々の尋ねください。

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