2008/10/16 木曜日

生前予約について その2

Filed under: 未分類 — admin @ 22:09:49

10月初旬に、北九州市の葬儀社組合社員向けのセミナーを開催しました。

テーマは、「家族葬」について。 このテーマになった理由は、「家族葬」というニーズが増えてきている。しかしながら、消費者は、家族葬と言えば、費用が「安くなる」と思っている節があるとの我々業界側に困惑について議論したことから始まりました。いろいろと葬儀社の担当者が日頃、葬儀の打ち合わせを行っている中で、遺族の要望などの聞いている中の実態を調査したところ、消費者は、「規模や会葬者が少なければ、葬儀費用は安くなる」との思惑と、葬儀の内容がわからないから、葬儀社ペースの見積もりにならないように、予防線を貼る意味で、家族葬という要望を口にされることが多いようです。しかしながら、実際に本当に家族葬を行っているかというと、この割合はかなり低いようです。実態は、普通をお葬式をしたが、小規模だったというのが実態で、これを家族葬と呼ぶのかどうかは意見の分かれるところのようです。

家族葬については、その定義が不明確であり、小規模葬であっても、顧客や葬儀社が、それを「家族葬」と言えばそれで成立しているのが、現実だと思います。本当にそれでよいのかどうかも意見の分かれるところなのだとは思います。

さて、このセミナーの中で、関心を持った意見は、「最近は、葬式の打ち合わせをするのが難しくなってきた」といベテランの担当者の意見でした。なぜ難しいのかというと、以前は、葬儀の打ち合わせとなると、遺族の人が多数出てきて、ああでもないこうでもないと言いながら話をしていた。その最中に家族の関係やどんな仕事をしているのかなどの家族状況を把握することが出来たが、最近は、打ち合わせに出てくる人が少なくて、家族状況の把握が難しくなった。今は改めまって、家族状況を聞かないといけないことがあるが、顧客側からすると、家族関係や何の仕事をしているかなどを何で葬儀社に話さなくてはならないのかと怪訝な顔をする人もいる。と云うのです。特に「家族葬で!」という要望を口にされる顧客にその傾向が強い。と言ってました。

確かに、「費用を抑えるために、誰も呼ばないつもり」になっている顧客に、家族状況は聞きにくいなあと私も思いました。やっぱり、どんなお葬式をするにせよ、相手の状況や要望がはっきりと掴めないと良い提案は出来ないというどんな商売でも当たり前の真理は、葬式でも成立するなという感想を持った次第です。

また、家族の人が亡くなったばかりの状況で、葬儀社は話をします。顧客側の心理状態は複雑であることを葬儀社は重々承知していますので、慎重に話を進めるのは常識です。しかしながら、そうであるばかりに聞きそびれてしまうことも多いことも事実であり、良い提案をするためには、様々な情報を入手することも必要であります。 そのためには、亡くなってから話をする前に、葬儀社と一度は相談してもうらことが必要なのだと思います。

顧客の立場にたっても、やはり事前に相談した方が、自分のためになると思います。ただ見積もりして安いですよ。割引適用しますよというだけの葬儀社より、いろんなことを話をしてくれて、家族のことを心配してくれる葬儀社の方が、良いお葬式をすることができる選択肢を増やすことになります。
ただ、見積もらって、安いだけでは選択すれば、後から後悔することになるかもしれません。

では、良いお葬式とは何だろう。このことは次回に回します。

2008/10/13 月曜日

お葬式で「幸せ」を感じることもあるのです。

Filed under: 未分類 — admin @ 16:39:13

先般、私の前職の同僚の方から葬儀の仕事の依頼を受けました。亡くなった方は行橋市にお住まいだったので、私の仕事場である北九州市ではありませんので、わたくしどもの組合の仲間である行橋造花店さんをご紹介し、病院のお迎えから葬儀が終わるまでお付き合いさせていただきました。私自身、故人とは面識もあり、まだ現役の方であったため、訃報を聞いたときには、大きなショックを感じました。電話で依頼をしていただいた故人の部下や会社の総務の方とも病院で会いましたが、突然の死だったので皆さん、ショックと悲しみの中にいましたが、何より、ご家族の方の悲しみは、それは言葉で言い表せないほどのものに感じました。受け入れがたい現実の中でただ茫然自失といった感じでした。そのような中で、現実の時間は進んでいきます。葬儀の打ち合わせを行い、葬儀は進んでいきます。故人は、現役で工場長という立場でありましたが、社葬ではなく、個人の葬儀という形式で進みました。しかしながら、故人の会社での仕事ぶりや人柄が伺えるように、会社の方方が葬儀のお手伝いにやってきます。我々葬儀社との打ち合わせもほとんどがこのような会社の人たちと進めてまいりました。通夜・葬儀を通し、個人葬でありながら、大変な弔問者・会葬者があり、ご家族や葬儀をお手伝いした方々のご苦労は、大変なものであったと思います。多数の会葬者の中で、厳粛且つ盛大なお葬式を久々に経験させていただきました。この葬儀を通して、故人の奥様の言動や表情が病院で初めてお会いしたときから、葬儀を終える間に少しづつ変化がありました。最初は、旦那様の死が受け入れられず、茫然としていました。葬儀の準備・納棺・通夜・葬儀という時間の経過とともに、だんだんと夫の死を受けとめ、現実を受け入れるようになっていきました。そして、出棺のときには、会葬者へのご挨拶の中で、「こんな沢山の方に見送られることを感謝します。私は幸せ者だ」という意味合いのことをおっしゃりました。私は、この言葉に一番感動しました。2日後、故人宅を訪問し、葬儀代金の精算を行うときに、私は、この事を奥様にお話をしました。奥様は、「私は変なことを言ったかなと思った。だって葬式なのに、幸せを感じたことはおかしいかなと後から思った。でも、あの時は本当にそう感じた。何故なら、あんなに人が集まるとは思ってもみなかった。そして皆さんに良くしてもらったことを感謝している」というお話をしていました。たぶん、奥様の知らない会社の中の夫の姿を会葬者やお手伝いをしていただいた会社の人たちを通して、垣間見たのであろうと思います。お葬式の本当の姿の一面を見たような気がしました。確かに、お葬式には、形式や格式といったものが必要なのかも知れません。しかしながら、本当に必要なことは、この奥様のように、故人の姿を見つめなおし、それを心刻みこむことなのかも知れません。

2008/9/13 土曜日

事前相談

Filed under: 葬儀 — admin @ 17:15:17

先般、当社の広告を見て、相談のお電話を頂戴しました。

相談者は、東京の方では、「直葬」という簡単なお葬式のやり方があると聞いたが、北九州市でも出来ますかということでした。

「直葬」とは、亡くなったら火葬するだけですから、どこの葬儀社に頼んでも出来ますよと答えてあげました。そうすると、次に「お布施」や「お墓」のことをどの位費用が掛るかと質問を受けました。

私は、「直葬」で遺体処理だけを希望されているのではないのですかと逆に質問をしました。

そうすると、どうすれば良いのか。わからないと言い始めました。

この方は、自分が亡くなった後のことを心配していました。

この方のお墓は、大分にある。自分が死んだら、子供たちが遠くにあるお墓の守をするのも大変だし、迷惑もかけたくない。お墓については自分の代で終わりしたい。と思っているようでした。お葬式にしても、大分のお寺に北九州まで来てもらい、御経をあげてもらうのも大変だ。それなら簡単に済ませて、葬儀社に納骨まで済ませてもらい、永代供養をお寺にお願いしようかなと思ったそうです。そうすれば、金銭的にも迷惑かけないと考えているそうです。私は、貴女が思っていることはそのまま実現しようとすれば出来るでしょうが、子供たちの亡くなったときには、どこのお墓に入れば良いのですか?

子どもたちには、新しくお墓を作るのですか。一番困るのは、たぶん貴女のお孫さんですよね。というような話をしましたが、この方は、私の話が全く理解できませんでした。

なぜ、孫に迷惑かけるのか。自分の財産の中で、自分の後始末を考えて、財産の中から全て賄えるようにしようとしているのに、何故なのか。全く理解できました。私からした場合に、子供が亡くなったら、その葬式を出し、お墓を面倒見るのはお孫さんだという常識で話をしましたが、この方からすると、自分と子供のことである。今しか見ていないからわからないのだと感じました。

家という概念が薄れつつあります。戦後、日本の家族制度は、変わりました。核家族制度です。要は、家は代々受け継がれていくという概念は、制度上なくなりました。

しかしながら、私たちは、お墓や仏壇。そしてお盆やお彼岸といった生活習慣上、家を代々受け継ぎという習慣を今なお、行ってきております。この習慣も最近は、行われなくなってきている。何故でしょうか。この方のように、大分にお墓がある。ご自分の遠いところにあるお墓の面倒を見るのが、時間的・精神的・経済的に苦痛だったのでしょう。

ですから、次の世代には、自分の苦痛を味あわせたくないと感じたのでしょう。

しかしながら、これからの社会において、お墓を新しく建てることの費用や場所の確保を考えたら、今あるお墓を大事にした方がたぶんに、精神的・経済的には、効率の良い話だと思います。またそこにいる先祖をお孫さんが自分の親しか入っていないお墓よりも先祖代々の方が入っているお墓のほうが自分のルーツや家族の大切さを考えることが出来る。そちらの方が、お金よりも、余程重要なことだと思います。

最近は、自分の代や目の前のお葬式の費用ばかりを考えた簡単なお葬式ばやりです。

そうしたお葬式は、家族を大事にしないことにつながるのではないかを心配します。もう少し長い目で見た家族の大切さや重要さを考えていきたいと思います。

2008/9/7 日曜日

硫化水素での自殺

Filed under: 葬儀 — admin @ 11:50:03

最近、立て続けに硫化水素を使い自殺した遺体の搬送を経験しました。

今年3月頃にテレビで硫化水素で自殺をした事件が報道で取り上げられましたが、それから硫化水素の自殺が増えたように思います。テレビの報道番組では、インターネットの硫化水素を発生の仕方が詳しく乗っていることが自殺増加の要因であるとの姿勢で報道していますが、この方法での自殺増加の片棒を担いでいるのはインターネットだけでなく、テレビの報道にも原因があると思います。

硫化水素での自殺は、遺体の損傷が非常に激しいので、体内部の臓器が激しく損傷するのでしょう。遺体搬送中などの出血などが見られます。そうなると、葬儀社は、通常業務とは違う衛生上の処理や作業を伴いますので、それなりに、費用を頂戴しなくてはありません。

自殺という特殊な要因での死を迎えた遺族の心情を考えると、このような費用を余分に頂戴せねばならないわれわれもツライ気持ちになります。

自殺する人は、それぞれの事情を抱えて、生きることに絶望し、死を選択するのでしょうが、残された家族のことをもう一度考えてみてもらいです。自己中心的な死を考えて、家族に精神的・金銭的にも負担をかけるより、共に生き、生きることに絶望したような事情を共に解決する道を見つけてもらいたいと思います。

何より、自分の体が死後、損傷し、見るに見れない状況になることを一度想像してもらいたいと思います。簡単に硫化水素で死ぬことは出来るのでしょうが、遺体は、綺麗ではありません。遺体を会葬者や親族に見せることができないようでは、ある意味においてお葬式が普通でない状況に迎えることになります。そうなると、残された家族が、お葬式後、その人たちとのお付き合いをどのようにしていくのかにも影響が出てきます。そんな死に方は絶対にやめたほうが良いと思います。

テレビなどは、そんなこと考えていません。ただ、面白おかしく何でも報道する。そんな姿勢が最近、ものすごく気になります。

2008/8/21 木曜日

生前予約について

Filed under: 未分類, 葬儀 — admin @ 20:15:02

生前予約は、葬儀をしようとする人が葬儀社に対して、葬儀を依頼したいことを申し出ることで成立します。内容は、生前予約の形体は大体3つに分類できると考えます。

①申込だけをする。②見積もりを取る③なんらかの前金を渡す(互助会を含む)

3つの分類ともよくあるケースです。葬儀を取り仕切った経験がたくさんある人でしたら、予約だけでもある程度自分がどのくらいの金銭的な負担や時間的な制約を受けるものなのかを経験知で理解できると考えます。このような人たちであれば、申し込みをしておけば、問題はほとんどないのだと思います。それでも不安な人は、葬儀社から見積もりを取って、中身の吟味と、内容の変更による変動がどの位あるのかがわかれば、大丈夫でしょう。最後に前金を渡す。これは、身寄りがいない方で時々、こんな申し出を受けることがありますが、これは、止めた方が良いですね。なぜなら、身寄りがいない人の場合に、誰が死後に葬儀社と連絡するのかをきめておかないと葬儀社に前金を渡したのが良いが、その葬儀社に連絡がなければ葬儀は出来ません。死後に自分の後始末をしてくれる人を探す、その人にお金を預けるほうが正しい選択だと思います。互助会については、お金を積み立てている分、少しは安心なのかも知れませんが、葬儀の内容と積み立て金で充当される内容が合致しているかどうか、きちんと把握しておかないと追加で内容変更を行わねばなりませんから、余り意味がないかもしれません。

結局のところ、葬儀を取り仕切る経験を一般の方が行うことは、稀であり。その経験知を積むことができないのが現実だと思います。 ほとんどの人が、葬儀を行う立場になれば、なんらかの不安を抱えているわけのですが、一体に何をどうすべきなのかさえわからないから、葬儀社と事前に話をしておきたいと思っているのが真実の姿だと思います。しかしながら、予約をしただけでは、内容の吟味が真剣に検討されていないため、経験の少ない消費者からすると、上辺だけの安心を得るだけで、いざ葬儀になった場合には、『どうしたらよいのかわからない』という状況は変わらないのだと思います。

生前予約をするにしても、内容と遺族が何をすべきなのかを明確に説明し、どんなことを考えておかねばならないかを教えてくれる葬儀社を選択することが必要だと思います。見積もりを取ってお金はこのぐらい準備してば大丈夫だと思っていると、いざ葬儀をやってみると、それ以上費用がかかってしまったという話はよく聞きます。これは、葬儀社が予約を受けたときの説明不足という責任もありますが、消費者にもお金だけしか聞かないという点にも問題があると思います。

わからないことをわからないのであれば、恥ずかしがらずに、何でも聞くことが必要だと思います。

2008/8/14 木曜日

生前契約と生前予約

Filed under: 葬儀 — admin @ 17:47:05

前回までは、お布施について書いてきました。このブログも月間1500件ほどの閲覧を頂戴しております。その中で検索語句の中で、面白いなあと思うものを紹介していきたいと思います。

2008年の中で、このブログの閲覧していただいた中で一番多い語句は、「生前契約」という語句です。要は、自分もしくは家族の誰かが亡くなる前に、葬儀社と契約をしてしまおうとお考えになった方が、葬儀社を探すのに、検索した結果であろうと考えます。生前の葬儀社とのコンタクトは、葬儀の「事前準備」を行うものとしては、一番良い方法であろうと私は思いますが、契約を完璧に作ろうと思うとなかなか敷居が高いです。

これは、契約の考え方です。生前契約は、葬儀社と葬儀のやり方やその内容を決めて、それをそのとおりに行うものなのでしょうが、葬儀の中には、どうしてもその時にならないとわからないことがたくさんあります。例えば、会葬者の数などは、亡くなった方や喪主さんの社会的な地位や近所付き合いなどにより、変わってきます。この地位や付き合いの度合は、亡くなるタイミングによって違いが出てきますし、また、死亡原因により変動してくる場合もあります。せっかく事前に決めた内容が大幅に変更になる可能性もあります。そのために、契約までの形を取らずにただ単純に予約をおこなうのが一般的な形に行われています。生前予約は、本人もしくは、家族の誰かから、葬儀社に申し入れを行い、見積もりを取る形で納得できれば、「もしものときは、お願いします。」という形式で、予約が行われているの現実です。

生前予約の場合は、ほとんど「死」の直前(病院から、死期が近いと言われてから)に葬儀社と話をしているのがほとんどのケースです。

生前契約は、自分本人が、「家族への迷惑や負担をかけたくない」という気持ちや、「自分らしいお葬式を望む」方が、元気な時に考えて葬儀社と話をしているケースが多いと思います。 しかしながら、絶対的な数からすると、圧倒的に前者の「生前予約」に葬儀社とお話をしているのが現実です。

この生前予約の場合は、利点や欠点については、次回に書きたいと思います。

世の中で生前契約を行っている方は、すごく少数派だと思います。なぜなら、契約は、皆さんと葬儀社が事前に決めた内容をそのとおりに行うことで成立するものです。生前契約は、事前に契約をし、その時が来たら履行をすることで成立します。これはなかなか難しいことです。何故なら、申込者である家族の事情で変更を行う場合は、多い。葬儀社からすると、契約内容と違う場合に、葬儀社に有利(売上増)となる場合には、それほど問題がないでしょうが、売上減となる内容の変更は、葬儀社とトラブルが起こる可能性は高くなります。こんなことで、両者が生前予約にとどまっているのが現実ではないでしょうか。予約だけも、もっと問題が多いと考えるのは私だけでしょうか。次回は生前予約について書いていきます。

2008/7/28 月曜日

お布施について その4

Filed under: 仕事 — admin @ 13:26:03

このブログの更新が遅くなりました。お詫び申し上げます。

実は、お布施のことで、消費者の皆さんがどんな風に思っているのかをインタビューするのに手間取っていました。知人の人たちに聞けばてっとり早いと考えていました。なかなか都合がつかず、時間がかかっていました。

さて本題に入ります。

お布施のことをこれまで3回にわたり、書いてまいりました。宗教的な意味合いや葬儀事業者である我々が感じていることなどを書いてきました。

私がインタビューしたのは、友人(男性)や子供の学校(PTAの役員をしております)のお母さん方へ、話を聞いてきました。

まあ、ほとんどの人たちは、年齢的(30-40代・中には20代もいたかな)にも、葬儀のことや寺院とのつきあいをほとんどしたことがない人たちですので、突然、「お布施について、どう思う?」と聞いたところで、ポカンとした感じの人が多かったですね。 お布施の意味あいや金額の妥当性なども全くわからないといった感じでした。

ただ、金銭が動く。そして、それを寺院の払う。といったことだけから判断して、やはり、お布施は、寺院への謝礼の意味あいだと感じているようです。

お寺は、お布施を修行だと考えているのだよと話をすると、違和感を感じているようでした。やはり、宗教的な知識を持たないと金銭の動きだけを見てお布施の意味あいを推し量っているのであろうと想像がつきます。中には、「勉強せないけんなあ」と言っていた友人もいましたが、ほとんどの人は、宗教的意味を学ぼうとはしませんね。宗教的なものと聞いて感じることは、どうもオカルトやオウム真理教みたいなものを思い描く見たいです。

宗教が本当はもっと身近なものであることを教えてもらっていない我々世代は、事件や映画の世界で、語られるお話を、事実そのものだと感じるようです。では、葬儀はどう思いのかを考えると、やはり意味あいはあんまり関係ない。でも、時々葬儀に参列したこともあり、家族が死んだら、葬儀をするものだといった認識は持っているようです。でも、本当にせにゃならんのかと逆に質問されたりしました。

先般、私の住んでいる北九州市門司区大里の地域活動で、この地域の小学校2校と中学校1校の校長先生が、「子育て」について家庭に望むことを講演する場がありました。その中で、人を大事にすることを教えることの中で、お墓参りや仏壇を拝むこと。先祖を大事にすることは教えることが人を大事にすることにつながるといった内容をお話されました。これは教育で宗教とは関係ないと言ったこともお話をされました。 校長先生の言われるとおりだと思います。葬儀のこのような意味が含まれているものだと思います。しかしながら、我々親が、その意味を理解しないと子供を育てることが出来ないものです。親の世代や祖父母の世代がしっかりと伝えていくことが、必要なことであろうと思います。お布施の意味にしろ、葬儀の意味にしろ、我々がもう一度知識を蓄えることが必要なのだと思います。

2008/7/4 金曜日

お布施について 3

Filed under: 仕事 — admin @ 0:20:45

少し時間が空きましたが、お布施についての3回目のレポートです。1回目は、私の考え、2回目は、お寺の考えについてレポートしました。3回目は、私の周辺の葬儀社の考えについてレポートします。

葬儀社の方々は、葬儀のお世話をする際に、必ず、遺族から聞かれることで、「お布施を幾らにすればよいだろう」であることは重々承知済みで、それぞれが経験上の知識の中で、「ここのお寺は、幾らぐらい必要だ」というアドバイスが出来るのが当たり前です。ですから、皆さんが、突然にお葬式をするようなことになって、お布施のことが気になる場合などは、葬儀社の担当者の人に聞けば、それなりにアドバイスはしてもらえるものと考えていて良いと思います。

しかし、そのアドバイスが的確な金額的に妥当なものであっても、お布施の意味がわからないと、皆さん方は釈然としないでしょうし、そんなお金は、なぜ負担せねばならないのだろうと感じるのではないでしょうか。そう思うと、そのお布施の金額をアドバイスした葬儀社の不信感につながってきてくるのではないかと思います。このレポートの1回目で、私は、お布施のことを聞かれると、「直接お寺とお話ください」と話をすると言いましたが、意味がわからないものにお金を遣うほど、ストレスのたまるものはないですし、私は、お布施の意味を皆さんがわかるようには説明できませんので、直接話をしてもらい、意味を分かってもらったうえで、お金を使ってもらいたいと考えているのです。

さて、2回目のレポートで宗教家の方々は、お布施を修行の一つと考えているというお話をしました。また、皆さん方の認識は、謝礼の意味だと考えているというお話をしました。これだけ食い違うとお布施は、釈然としない、得体の知れないものだと感じるのは当然です。また、我々葬儀社の人間もどちらかと言えば、謝礼の意味で考えている人が大半だと思います。中にはお布施の意味あいと修行であることを理解している人もいるとは思いますが、その話を皆さん方消費者の方々に、もっともらしく話をする人は少ないのではないでしょうか。何故なら、宗教家でもない葬儀社の人間が、顧客である消費者の皆さんと違い感覚でお布施を説明しても、皆さんは、全く理解できないはずだからです。

我々の仲間では、よくお葬式をする意味を消費者の考えてもらうことが必要だということを話し合いをします。昨今、ただ火葬をするだけといった葬儀の簡素化の流れがあります。葬儀費用を安くするだけで、それ以外のことをおざなりにしている。そのようなことが人を大事しない世の中につながっているといったことが話題に上ります。この中で、我々葬儀社の人間がただ利益の為だけに仕事をしている姿勢は是正が必要だと思いますし、皆さん方にも葬儀のことを考えてもらうための様々なきっかけを作る活動が必要だということを言われる葬儀社の多いです。

そのような葬儀社の方々は、宗教家のかたがたにも同様に、なぜ宗教が必要なのか。なぜお布施が必要なのかを、もう少しわかりやすくそして、さまざまな場所でより多くの人たちに問うてもらいたいと思っている人たちが多いことも事実です。我々葬儀社業界と宗教界でそんなことを協業して出来ればよいのになあと思うこの頃です。

2008/6/23 月曜日

お布施について 2

Filed under: 未分類 — admin @ 20:55:46

前回の私のお布施について考えについて引き続き、私の知人の寺院の方にお布施について聞きました。

私は、この人にお布施について、葬儀の中で、消費者がよくわからないことと中に「お布施」のことがよくわからない方が多いので、お布施とは何ですかと質問しました。 なかなか、考えさせる意味深な質問ですねえ。と言われました。まあ、こちらの聞きたいことはお答えいただきました。

 まず、辞書で、お布施を見ますと、二つの意味があります。ひとつは、仏教の中での修行の一つの意味です。二つ目は、読経や戒名を僧侶に頂いた謝礼の意味です。

我々のような葬儀業界の関わっている者や一般の方々は、普通、後者の意味でお布施を考えます。

しかしながら、仏教界の方からすると、お布施を前者の意味で考えているようです。

仏教では、仏の位に就くために、六波羅密(ろっぱらみつ)という行をしなければならないと説かれているそうです。その六波羅密(六つの行)の第一の行が「布施行」というそうです。お寺の方曰く、勘違いしているのは、葬儀や布施も死者に対して供養と思っていますが、すべては自分のために行うものということです。供養とはするものでなく、させていただくものであり、自分のためにするものだそうです。ですから、どのくらいのお布施が妥当なのかを考えると、自分の修行ですから、苦しくないとなりませんかねえ。とのことでした。

葬儀を死者に対して供養ではなく、自分のためのものだと考えは、我々FSNの葬儀に対する考えにも通じるものがあるのかなと思います。故人と絆は、自分のものであり、葬儀の施主になる、参列する。様々な立場があるにせよ、葬儀に参加する意味において、故人の供養ではなく、自分のためと思えば、葬儀にも意味が出てくるのだろうと思います。まずは、意味を考えることが必要なことなのであろうと思います。

しかしながら、我々は辞書の中のお布施の意味の僧侶への謝礼という概念を持っています。その中で、修行を考えることは、じっくりと落ち着いて考えないとなかなかできないことではないでしょうか。ましては、突然の家族の死を迎え、準備もなしに、葬儀を施工する中でお布施は、どうしても謝礼の意味で考えがちになるでしょうねえ。

さて、お寺さんも仏教者でもないわれわれがお布施をどのように考えているかは、百も承知で、幾ら支払えばよいかは聞きたいのよねえ。このお寺では、次のように、言われているようです。葬儀の見合った金額(祭壇の金額相応)もしくは、祭壇の費用の半額を目安にしてください。と・・・・。

我々、葬儀業界の人には、わかりやすいですねえ。しかしながら、一般の人には、難しいかもしれませんねえ。何故なら、祭壇の費用の適正金額がわからないといけません。これまた、死を準備をしておかないとわからない。ここら辺は、葬式代の公式をこのブログに書いていますので、参考になさってください。それでもわからない人は、我々の尋ねください。

2008/6/11 水曜日

お布施について

Filed under: 仕事, 閑題 — admin @ 4:04:25

FSN九州株式会社の代理店となっている多くの葬儀社さんが加盟している全日本葬祭業協同組合連合会(全葬連)という団体があります。

この全葬連が、これまでに数回にわたり、財団法人日本消費者協会の協力で、葬儀について消費者に対してアンケート調査を行っております。その中で、葬儀を行う中でわからないことは何かという設問に対して、「お布施」という回答が多いので、今月はお布施について少し書いてみたいと思います。4回に渡って書いてみたいと思います。初回は、私の私見。2回目は、寺院の立場(とはいえ、私の知人のお寺さんの意見)。3回目は、一般的な葬儀社の意見(私の周りの葬儀社が思っていそうなこと)。4回目は、消費者の立場といった感じで書いていきます。

まずは、私の意見。では、始めます。そもそも、お布施が幾らかかるかを葬儀社に聞くことに疑問を感じます。お布施を払うのは、消費者で、もらうのは、お寺の人。それなら、何故直接に聞かないのでしょうか。

お布施にはそれなりに意味やどのように使われるという背景があるから、幾らというものが計算されるものではないのかなと思います。これを知っているのは、お寺を運営している人だけだと思います。ですから、葬儀に従事していれば、お寺との付き合いが深いという理由だけで、お布施のこともわかっていると消費者が想像することは、理解しますが、葬儀社もお寺の運営がどのように行われ、どんなコストがかかっているのかはわからないのが実態だと思います。お寺の運営は、葬儀社よりも檀家のほうが、余程詳しいはずですが・・・。

また、お布施は高いという声をよく聞きます。葬儀社の中には、お布施も葬儀代金と一緒に消費者から預かることもあると聞いたことがあります。これも変なお話だと思いませんか。ごく普通の一般的な商行為として、誰か(消費者)が誰か(お寺)に支払うを行うことを第3者(葬儀社)が代行すれば、そこに第3者の利益が上乗せされるものだと思います。高いと言いながら、わざわざ高くなることを選択して、葬儀社に頼むのはいかがなものでしょうか。まあ、お布施を葬式代と一緒に回収するという葬儀社の態度も問題が多いと思います。それこそ、「人の弱みにつけこんだ」行為と思われても仕方がないのではないでしょうか。それと、高いと思うのは、やっぱりお寺が日常何をしているのかがわかっていないから、どんなコストがかかっているのかを知らないからだと思います。やっぱり、運営そのものをつまびらかにすべきではないでしょうか。昨今よく言われる「情報開示」だと思いますが・・・。

お寺もお寺だと思います。自分の檀家の人が、お布施の値段がわからないと思っている人が多いことに早く気付くべきですが、なかなか言わない。もう少しわかりやすくしてあげるとか、運営の実態を明らかにしていくとかしないといけないのではないでしょうか。そうしないと何時までも経っても、お寺と檀家の間のことを第3者の葬儀社が介在しなければならないことになります。これは、葬儀社に主導権に握らせることになり、両者にとってあまり良いことではないと思います。

こんな風に考えると、お布施については、当事者同士で直接話し合いを行い、両者が納得し、支払う・支払ってもらうということをすべきで、葬儀社が助言することや介在することそのものがおかしいのではないかと思います。私は、お布施が幾らかと聞かれると最初に言うことは、「直接聞いてください。」と答えます。

人の死を弔い、明日への糧とする意味がお葬式にあるのであれば、上辺だけの優しさや便利さを追い求めるのでなく、本質的な意味を考えることが必要なのだと思うのです。葬式をする意味や祭壇はなぜ必要なのか。お寺との付き合いがなぜ必要なのか。
そもそもお寺とは何だ(ずっと昔からあるわけで、意味があるから続いているはずです。)我々が生活している中で当たり前にあることですから、その意味を深く考えずに生活してきたから、わからない。わからないから聞かない。悪循環です。

皆さんもお寺やお布施のことを一度考えて、できればお寺との話し合いをしてみてはいかがでしょうか。何らか答えが見つかるかもしれません。

次のページ »

HTML convert time: 0.433 sec. Powered by WordPress ME