人の死を考える
FSN九州が市民フォーラムを開催しました。約400名近くの方々に来場いただき、盛大な開催できました。ご協力いただいたFSN九州関係者や福岡ホスピスの会の関係者の皆様には、感謝申し上げます。
講演は、『よく生き、よく笑い、よき死と出会う』という題名で、死生学を研究している上智大学名誉教授アルフォンス・デーケン先生のお話だった。
葬儀の仕事をしていく上で、たくさんのことを考えさせてもらえる内容であった。
先生は、『死の準備教育』を提唱されており、死には、4つの側面がある。それは、肉体の死・心の死・社会的な死・文化的な死の4つについて説明をされた。
このような側面は、お葬式をどのようにするのかを考えるときにも、必要なことだと思った。 自分が死ねば、遺体の処理だけを考えれば良い。日本であれば、火葬して骨にする。後は、その骨のお墓に入れるのか、破棄するのかを考え、家族に依頼しておけばよい。いや家族に頼まなくても葬儀業者に頼めば事足りるかもしれない。 しかしながら、人の死には、肉体以外の死があると先生はお話をされていた。 それは、人は、死んでもその足跡や他人の心に残るものだということだ。 例えば、家族。 お葬式の現場で遺族を見ていてもそう思う。家族の誰かが亡くなって、泣き崩れる姿・呆然とする姿。 人それぞれの姿ではあるが、遺体となった家族を見て、様々な想いを持っておられることがよくわかる。 その人が生きているときにはあまり、抱いたこともない気持ちが吐露するのではないかと思う。 家族以外の友人・知人も同様だと思う。こんな風に、人の死は、いろんな意味を持つのだろうと感じていた事柄をこの講演を聞いて、再確認できた。このような中で、葬儀の仕事は、遺族の人の想いを大事にせねばならないと思う。 遺族の心の声を聞くことが大事なのだろう。 葬儀社の宣伝文句によくつかわれる「真心」とか「誠心誠意」等は、相手の心の声を聞かねば出来ない事だと思う。 何でも「ハイハイ・仰せのままに」の姿勢では駄目なのだろうと思う。
先生は、こんなこともお話をされていた「生きる時間が限られている以上、時間を意識して死を考える必要がある」と・・・。
お葬式も、死を考えるときに必要なことの一つ。特に肉体的な死以外のことを考えると、じっくりと考えないと、よくわからない事だと思う。やはり、お葬式の準備が必要なことなのだ。そんな想いを強くした。
トラックバック URL :
コメント (0)