2009/7/4 土曜日

自殺とお葬式 その2

Filed under: 閑題 — admin @ 17:14:29

最近、このブログを見ていただいている方が多くなってきております。このブログを検索される中でここ2-3ヶ月は、ずっとトップは、「自殺 葬式」という語句です。 この語句で検索される方はどんな方なのでしょうか。 家族の人が自殺をして、お葬式を出すのにどうすればよいかと悩まれている方なのか。自殺をしようとしている方が、見ているのか。

以前にも書きましたが、自殺を考えている方には、とにかく自殺はやめてほしいと思います。残される家族にとって、突然の死は、お葬式どころではありません。また、お葬式をちゃんとやらないと、心のけじめがつきません。そうすると、前向きに生きていけません。その点だけ考えても、自殺をするより、別の道を考えていただきたいと思います。

残されたご家族の方には、突然行わねばならないお葬式です。自殺の理由とかいろいろな世間を目や耳を気にしてしまいがちです。でも、目の前にあるお葬式から逃げるようなことはしないでほしいと思います。いろいろなことを考えて、周囲の人に知らせないといったお葬式は他の意味で問題が多いと思います。なぜなら、残された家族は、住んでいる場所で周囲の人と付き合いながら生きていかねばならないからです。自殺の理由やらいろいろな詮索を気にされるかもしれません。でも、それを乗り越えることにより、もっと強く生きていけるかもしれません。 今日、このブログのアクセスデータなどを見ていて思いました。

2009/6/23 火曜日

離婚した人のお葬式

Filed under: 葬儀 — admin @ 8:27:02

離婚の多くなってきている世の中です。離婚した人が亡くなった。そんなお葬式についてお話をします。

数年前に離婚した60歳前半の男性が亡くなりました。 この方は、離婚後は、一人暮らしをしていたようです。子供たちも成人しているので、まあまあ悠々自適な生活をしていたようです。

病気になり、入院し、そのまま永眠されたようですが、子供たちにも自分のおかれている状況を伝えていなかったようです。最後の看取ったのは、友人・知人の方々でした。葬儀社の手配も友人・知人が行ったようです。友人・知人は、とりあえず、知り合いの葬儀社に連絡を取り、その後、子供たちに連絡をしたようです。葬儀社も、宗旨や遺族の状況などを把握しないまま、業務を進めようとしていました。子供たちも、父方のお寺がどこなのかがわかりません。また、お墓や何やらのことが分からないので、母方のお寺に依頼をしました。そうすると、このお寺は、○○葬儀社に頼みなさいと言ったそうです。そこから子供たちは、慌てててその葬儀社と連絡を取り、葬儀を行ったそうです。友人・知人が手配をした葬儀社とは一悶着あったので、少し後味の悪い思いをしたようですが、一応無事葬儀を終えたようです。さて、この子供たちは、父親のお骨をどうするのでしょうか。離婚した母方のお墓に一緒に入れるのでしょうか。それとも新しくお墓の立てるのでしょうか。父方のお寺やお墓を探すのでしょうか。葬儀が終わったても、苦労が絶えないなと感じます。

核家族社会は、結婚すれば子供たちは、戸籍を含めて親元から独立していきます。自立した人間を形成を行う意味で必要なことなのだとも思います。しかしながら、我々の日本社会の伝統・文化・風習には、家族の引き継ぐ行為がたくさんあります。先祖の供養・お墓・家族を大切にする想い・・・。そんなことと、核家族制度は、制度と風習・文化がかけ離れているようにも感じます。また、最近は子供たちもなかなか親離れ出来ない実態や高齢な親の介護などの面倒を見ていくにしても核家族制度は、なんとなく、子供も親も自分の都合ばかりを言い立てるための制度になり下がっているように感じます。特に離婚は、親のわがままのように思います。結婚して間のない離婚は、相手方のことをよく知らないという若気の至りという面もあるとは思いますが、長年結婚生活を送った後の離婚は、特に子供が出来てからの離婚は、自分たちの将来を考えた決断が必要なのかもしれません。離婚してしまえば、そのあとの生活においても、子供たちに迷惑をかけることもありますが、自分が死んでからのお寺・お墓などを子供たちがどうすればよいのか悩みを抱えてることになりかねないことだと思います。皆さん、誰しも葬式するのに、子供に迷惑かけたくないとお金をことを気にします。しかしながら、それだけではないのだと思います。家族みんなで考えることが必要なことだと思います。今の生活と、家族の亡くなった後のことを・・・。

2009/6/11 木曜日

自殺とお葬式

Filed under: 閑題 — admin @ 9:02:33

社会的に、自殺者が増加していきます。最近感じることですが、少し自殺に対する世間の認識も変わってきたのかと思います。

以前でしたら、自殺をした場合には、何故自殺したのかなどを詮索されることを嫌い、遺族の人たちも死を伏せようとする意識が働いていたと思います。そのためにお葬式も、誰にも知らせないでひっそりと行うといったことが多かったように思います。

しかしながら、これだけ自殺者が増加し、自殺には、その理由を新聞やニュースで一般的に論じられるようになりました。また、そうならないために周囲の人たちや地域社会がどうあるべきなのかという議論もされるようになってきています。こんな背景の中で、自殺者が出た遺族の人たちに対する周囲の目は、少し変化してきているのかなと感じます。ここ数日の間に2件ほど、自殺者のお葬式があることを知りました。両方ともごく普通にお葬式をしました。 会葬者も故人と別れを惜しみ、遺族と故人を偲び、葬送を行った。そんなお葬式だったようです。確かに、自殺の理由には、世間的に格好の悪い点があると思われる方もまだまだ多いでしょう。故人を惜しみ、別れを行い、そして残された人たちがそのあとを助け合いながら、生きていく。そのための儀式であるというお葬式の意味は、自殺の理由を詮索する周囲の目を気にせずに生きていくためにも必要なことなのかも知れません。

2009/6/8 月曜日

ちょっと気になる葬儀社の姿勢

Filed under: 葬儀 — admin @ 17:29:58

私は、自分の葬儀社とは別に霊柩車の搬送など、他の葬儀社からも部分的に仕事を請け負う仕事をしています。そんなことで、他の葬儀社の仕事ぶりも見ることができます。そんな中で少しに気になる点を書きます。逆にこんな葬儀社にはご注意ください。

ある仕事が入りました。担当者より、連絡が入り、司会者と通夜・葬儀の手伝いをするアシスタントの派遣の連絡でした。この担当者は、「いつもの○○さんは空いていますか。」と聞いてきました。私は、「全部で何人いるの?」と問い返しました。担当者は、「全部で4人です。4人を全部そろえるのは無理でしょう。だから○○さんだけお願いします。」と言いました。他の3人は別の会社にオーダーするのでしょう。別々の会社から派遣されるアシスタントが同じチームを組んで仕事をすることと同じ会社のメンバーでチームをするのとどっちが上手くいくかを考えれば自明の理なのですが、この担当者は、「○○さん」に固執します。何故なのか?みなさんお分かりになりますか。これは自分が仕事をしやすい(手を抜けるから)です。いつも一緒に仕事をしている○○さんには、何も言わなくてもやってくれるという担当者の安心があります。でも、本当に必要なことは、その施工をする顧客のことを考えて、アシスタントさんがチームを組み、顧客の要望ややりたい葬儀を手伝うことです。○○さんだけで、葬儀を手伝っているわけではありません。アシスタントさんが全員で取り組むことが必要なことです。そのためにはチームの意思疎通が図れていることが顧客にとって一番良いことのはずなのですが、そうではなく、担当者の都合が優先されるような施工の組みたてをしているような葬儀社がいます。

皆さんが葬儀を依頼し、打ち合わせを行います。その時に、自分の都合ばかりを言い立てるような葬儀社は、本当によくない葬儀社です。逆に何でもおおせのままにいたしますという葬儀社にも要注意。裏では、こんなやり取りをしています。特に事前準備をしていにくいことが葬儀のことです。家族の人が亡くなってから、いざ葬儀社と話を始めるとなると、自分の思うとおりにならないことのほうが多いはずなのに、何でも出来ますというのも変な話です。でも、こんな葬儀社が多いかもしれない。本当に良い葬儀社は、出来ないことと出来ることをはっきりと言う葬儀社だと思います。

こんな風に考えると自分や家族のしたい通りに出来る葬儀社探しは、亡くなってからでは遅いのだと思います。事前準備それこそ必要なことのはずです。

2009/6/4 木曜日

変死体

Filed under: 仕事 — admin @ 13:14:30

現代社会は、高度に医療が発達し、人は皆病院で診察を受け、薬や治療を受け生き続けようと努力します。しかし、人は何時か寿命がやってきて亡くなります。亡くなる場合も医療で治療や延命を行ってもらっている場合が多いから病院で亡くなるのが当たり前の時代です。

人の寿命は、いつ尽きるかわかりません。突然死が訪れる場合はあります。事故・事件。気づいていないうちに進行していた病、様々です。我々は、そんな遺体を時々見ることがあります。周囲の人や遺族たちも思いも寄らぬ死であるだけに、その死をどのように受け止めるべきなのか、と戸惑い・苦悩している姿を見かけます。お葬式をするにしても、何も心準備もなく、どのように行うべきなのかを考える余裕もない。そんな姿を見かけるたびに私も悲しく忍びがたい気持ちになります。昨日、そのようなご遺体を見ました。死後3カ月を経過した変死体。アパート住まいだったこの男性は、自宅で死亡したまま、発見が遅れ3カ月後に発見さました。死因は別問題として、何故発見が遅れたのか? このアパートの住民は、異変に何故気付かなかったのか。そのことが気になります。我々がこの男性の部屋に行ったとき、周辺までかなりの異臭がする状態でした。隣の住民は、この異臭をどのように感じていたのだろうか。隣の住民が遺体を運び出す際に、何も言わずに出かけて行った後ろ姿を見ました。「無関心」。後ろ姿からのそんなことを言っているように思えました。遺族の人は、数か月の間も連絡がなかったことを悔やんでいる様子ではなかった。家族・兄弟が何をしているのかに関心のない人たちもやはり無関心なのだろうか。人が人に無関心な世の中は、怖いと感じます。死ぬことよりも怖いことだと思います。でも、みんな死を恐れ、怖がり、人の無関心なことを怖いとは感じない。何故なのだろう。昨日は、こんなことを考えさせられました。

2009/6/2 火曜日

こんなお寺は考え物だな

Filed under: 閑題 — admin @ 7:59:18

最近耳にしたお話をします。

父の法事でお寺に兄弟が集まったときのお話です。お経をあげ、10分間の休憩をはさみ、再度お経をあげる段取りだったそうですが、その休憩時間に事件が起こりました。兄弟の一人が父の戒名を書いた掛け軸を見たいと本堂の中に上がったそうなのですが、その時に灯明に肩がぶつかり、油がたいそうこぼれたそうです。そこらじゅうが油だらけとなったそうです。この人が悪いことをしたと住職さんにお詫びに行ったそうなのですが、住職さんが、「たいへんなことをしてくれた。」と大騒ぎになったそうです。休憩時間だったので、兄弟たちは、外にたばこを吸ったり、お茶を飲んだりしていたそうですが、騒ぎを聞きつけ、集まり。これは悪いことをしたなと思って様子を見ていたそうですが、住職さんは、突然「今日はこれで、終わりにします。帰ってください。」と言ったそうです。 兄弟たちは、みな茫然としたそうですが、仕方がないので帰宅したそうです。

お寺におって、本堂や仏具と言ったものは、大事なものなのでしょう。しかしながら、宗教とは一体何なんだろうと考えるとこの住職さんの態度はちょっと考えさせられます。宗教上のその儀式や形は必要なことだと思います。そして、その形の整えるためにモノは必要なことなのでしょう。でも、本当に必要なことは、何でしょう。葬式でも、宗教でも同じだと思う。せっかく、父の法要で兄弟が集まった機会なのに、モノが汚れたから法要を途中でやめる。これって本末転倒しているような気がします。

私にこの話をしてくれた人が言いました。「まあ、お寺も商売道具を汚されたと思ったのだろう。」 これが宗教に関心を持たない普通の人の感覚なんでしょうねえ。仏具などを商売道具と思われては、宗教家もたまったものではありません。しかしこれが普通の人の感覚なら、宗教家の人たちは、相当頑張ってもらわないといけません。

今の世の中、人の絆とか心の在り方などが問われる時代だと思います。宗教家の出番だと思います。もっと頑張ってもらいたいけど、この住職さんのようでは、なかなか上手くいかないかなと感じます。

2009/5/27 水曜日

死ぬことは怖いこと

Filed under: 葬儀 — admin @ 20:51:27

1昨日、二女とお風呂に入っていました。そうすると突然娘が言いました。「死ぬって嫌だよね。」と、私が、「なぜ」と聞くと、二女は少し考えて、「怖いから」と答えました。

 その時にふと思ったことですが、ある助産師の話を思い出した。この助産師は、子どもが誕生した夫婦に対して聞くそうです。

「生きることの反対は、」。大体の人は、「死ぬこと」と答えるそうです。助産師は、言うそうです。その答えは違うよ。「生きることの反対は、生まれないことだよ。 生きるってことは死に向かって歩いていること。 世の中で一番つらいこと・悲しいこと・苦しいことは、世の中に生まれることができない命が、あることを知っておくべきだよ。」

この話を娘にしたが、少し難しかったことのでしょう。ポカンとしてました。私の考えた。どうしたらわかるかなと。そんなことを考えていると、人は何で死を怖いと感じたり、嫌だと思うのだろう。自分が死んだら、家族のみんなはどんなふうに思うのだろう。やっぱり泣いたり、悲しいと思うだけかな。

自分が死んだら、家族のみんなはどんな生活をするのだろう。お葬式をするだろう。どんなお葬式をするのだろう。お葬式が終わったらどんなふうに思うのだろう。自分は葬儀の仕事をしているから自分が送る側のことを考えたことはたくさんあるが自分が送られる側のことはあまり考えたことがなかった。 そんなことを考えた。

いつも葬式のお世話をして思うこと。やっぱり準備が必要だと感じる。なぜなら、準備が十分でない人は、お葬式の時間はあっとゆう間に過ぎてします。それは見ていて悲しいと思う。自分の家族も同じかな。

死は何時かやってくる。その時がやってくるこを考えておこうと思った。子どもが怖いと感じるなら、怖くないものだということをわかってほしい。自分のため、家族のため、自分が死んでも子どもがしっかり生きていくことができるように。願いを込めて。

2009/5/14 木曜日

残したいものは何ですか?

Filed under: 仕事 — admin @ 12:25:15

つい最近、保険会社の仕事をしている友人と会いました。

彼より保険の勧誘を受けていろんな話をしました。我々の仕事と保険の仕事は、死に関連することに近い関係にあります。

我々のFSN九州において、企業契約のサービス商品として、葬儀費用プランという業務災害総合保険をAIU保険会社と連携して進めています。内容は、葬儀費用100万円を保障するという内容です。(詳しく知りたい方は、問い合わせください。)

さて、保険については、私は個人的には、加入を今までしていませんでした。過去にいろいろと保険の勧誘を受けていましたが、よく言われるのが、「入っていたほうが、もしものときは安心よ。家族にも迷惑かけられないでしょう。」といったことがよく言われます。私は、そんな言葉を聞いても心が動きませんでした。なぜなら、保険に入っておけば、なぜ安心なのかを誰も語ってくれなかったからです。確かに自分の家族を大事に思っています。愛しています。しかし、私が死んだあと、どのように生きていくかは、残された家族が自分たちで考えるべきだと思っています。私が残された家族に望むことは、自分がどれだけ家族のことを大事に思い、どんな風に家族があってほしいと思っていたかを汲んで生きてくれるかだけだからです。これはお金では伝えられないものだと思っていました。

私の友人の保険会社では、保険加入をしてもらった人にあるメッセージを出していました。それは、家族へのラブレターを書くことを勧めるものでした。

その一節を紹介します。

保険って、思えばとても不思議なもの。

自分のいなくなった後のことについて、あれこれと考えさせられる商品です。

家族には、いつまでも元気でいてほしい。つらいことや苦しいこととは、なるべく無縁であってほしい。

誰もがそう願い、そして、そのためにできることならどんなことでもしたい、そう思います。

保険は、あなたの大事な人を守るために、とても有効な方法です。

困難を乗り越えるための、きっと大きな手助けとなるでしょう。

私たちは保険のプロとして、自信を持って、胸を張って、そう言うことができます。

けれども、保険は万能ではありません。

どちらかと言えば、保険とは、言葉少なにそっと陰から見守るタイプです。

この保険に託したあなたの大事な人への想いを、雄弁に語ることは少し増えてです。

今日保険に加入されたあなたに、私たちからのささやかな提案があります。

今の想いを、わかりやすいかたちで残してみませんか。

この一節の保険という言葉を葬儀に置き換えてみても、通じる話だなと私は感じました。これなら保険に入ろうかなとも思いました。

保険についても、保険金に込める想いが必要なのでしょう。それを残すことが大事なのだと気付きました。お葬式も同じなのだと思います。

事前準備を行う、葬儀社と相談することをこのブログの中でも重要だというお話を何度もしましたが、費用だけでなく、残される家族のための想いや、故人への遺族の想いは何なのか。それが重要なことだと思います。

小生、友人の保険に加入することに決めました。家族への愛や想いをこめて・・・。

2009/4/20 月曜日

葬儀社と相談して安心しました。

Filed under: 未分類 — admin @ 14:40:53

先般、私があるフリーペーパーに出している広告記事を見て、連絡をしてくださった方がいました。

その人は、私に「お葬式のことなら何でも相談していいんですか?」と聞きました。「はい、何でも良いですよ。何が聞きたいのですか?」と聞いたところ。「お布施って幾らなのですか?」と聞いてきました。私は、「宗旨やお寺により違いますから、いろいろ少し聞かせてもらえますか。」と状況把握を行うとすると、この方は、「お寺は葬儀社に紹介してもらう予定なんです。実は、親が危篤の状況で、葬儀社とは相談したのですが、お布施のことは聞きにくくて・・・」とのことでした。私は、「それなら、その葬儀社に懇意にしている葬儀社を紹介してもらえるのでしょうから、その葬儀社に聞くのが一番ですよ。葬儀社に葬儀のことを相談しているのであれば、貴方の置かれている状況の判ったうえで、紹介するといっているのでしょう。私に聞いてもお布施の金額が妥当なのかどうかわかりませんが・・・。」と言いますと、それからこの方は延々と現在の家族の状況やどんな風に葬儀をしたいのか・お墓も心配などを話をしました。最後に、相談に行った葬儀社の人は、お葬式の費用の見積をしてくれて、お寺は紹介してくれるのかと聞くと「紹介します。」と答えただけだったそうです。私は、この人に聞きました「あなたは、それでどう思いましたか。」この人は、見積もりをもらったから、「安心した。」と答えてその葬儀社から帰ったそうです。

私は、不思議に仕方ありません。見積もりをもらい、その葬儀社に対して「安心した」と言った人が、私に相談の電話をかけてくるのか?この葬儀社の担当者は、この相談者に対して何を説明したのか。この相談者は、何の説明を求めたのか。せっかく相談に行ったのに、この内容では、全く相談の会話が成り立っていない。相談者も葬儀社もお互いに理解しあえていない。こんな状況でなぜ「安心」という言葉が出てくるのか。まったく理解できない状況です。

私は、この方にススメしました。「再度相談に行くか。別の葬儀社に相談に行った方が良いですよ。出来れば、私の知っている葬儀社で貴方の近所の方を紹介しますから、どこの葬儀社に相談に行ったのか教えてもらえますか。」「〇〇社です。」私の知っている葬儀社でした。そこで仕方がないので、少し離れた葬儀社を紹介しましたが、この人は「遠いですね。」とのことでした。私もそれ以上、言葉がつけずいると、この方は、「ありがとうございます」と言って電話を切りました。

さて、皆さんどう思いますか? 本当の安心って何なんでしょうか。この方が、再度葬儀社を訪問されていることを祈念します。

2009/4/2 木曜日

「悼む人」を読みました。

Filed under: 未分類 — admin @ 22:53:26

最近売れている本である天童荒太さんの「悼む人」を読みました。

題材は、「人の死」です。さまざまな死を主人公が悼むための旅をする。題材は、非常に重いものですが、仕事柄興味をひかれて読みました。

主人公は、見ず知らずの死を悼むために、死があった場所を旅し、そしてその場所で悼みます。

悼むために、主人公は、亡くなった人が、「誰を愛し、誰に愛され、何をして感謝されたのか」を聞いて回ります。そして、聞いた話を中心にして、死者に対して、「貴方のことを忘れないように悼みます。」何時迄もに心に刻みこむ作業として、悼むのです。

死者のことを聞いて回る間は、変な宗教家などに間違えられたり、警察に事情聴取を受けたりと大変な目に会うのですが、そのうち主人公を通して、他人を一面的に取られ、人間不信に陥っているような人間が、人との絆の大切さなどに気づき変化していき、主人公と同様に悼みの旅を行うようになっていきます。

葬儀社の人間もこのような姿勢が必要なのではないでしょうか。故人がどんな人でどんな生活を送っていたのか。はたまた遺族の人たちは、どんな人なのか。そのようなことを知らないとなかなか良いお葬式の打ち合わせはできません。なぜなら、それらを知らないと葬儀社と遺族が行う打ち合わせは、単純にお葬式の形をどのように整えるだけに終始してしまいます。

しかしながら、個人の家の事情を聴きだすことはなかなか難しいことも、事実です。そこで、この「悼む人」の行動は、われわれの葬儀社にとっては、ヒントになるのかな。それは、「誰を愛し、誰に愛され、何をして感謝されたか」。これなら、遺族との打ち合わせの中で聞き出せるかもしれません。宗教に近しいことのようにも、思えるかもしれませんが、人を愛する・愛される。これは宗教というような次元の話ではないように思えます。何故なら、人は、一人では生きていけません。そして一人では死ぬこともできないからです。

次のページ »

HTML convert time: 0.431 sec. Powered by WordPress ME